ガンダム論1〜民族問題

ターンエーガンダムの物語の
骨子、縦軸になるテーマが
民族問題、人種問題、
そしてそれに伴う差別問題。
この物語がテレビで
放映されていた頃というのは、
アメリカの同時多発テロ
後に言われる911以前、
中東、パレスチナ問題が
もっともきな臭かった時期で、
この問題が物語のモチーフに
なっているものと思われます。
パレスチナ問題についての説明は
あまりに複雑すぎて
簡単に説明する事ができないので
割愛させて頂きますが、
パレスチナ問題がベースになっている事は
この物語を見れば
容易に想像がつきます。
このガンダムの場合、
地球に住む人と
月に住む人という
二つの民族が登場します。
戦争を繰り返して荒廃した地球を
再生するにあたり、
地球に残って
地球に負担のかけない文明レベル、
つまり産業革命以前の
文化レベルにダウングレードして
生活をしながら、
地球の再生を待つ地球の人たちと、
頂点を極めた科学技術を維持しつつ、
月の国で
人工冬眠の技術などを使って
地球再生にかかる時間を飛び越えつつ、
やがて地球が再生したら
再びここ、地球に戻ってこようと
思っている月の人たちです。
地球の人は
過去の人類の過ちを
科学技術を封印する事で
それを忘れてしまった人種で、
2000年以上という時間を
何世代にも渡って過ごしているうちに、
やがて環境が再生された地球に
月の人が帰ってくる事どころか、
月に人がいる事さえ知りません。
そこに月の人が
かつての祖先が残した土地、
地球に移住してこようとするのですが、
地球の人にとって
それは全くの寝耳に水で
受け入れる事が出来ません。
地球の人は、
やがて帰ってくる同胞が
月にいる事さえ忘れてしまい、
ずっと自分たちの土地だと疑わずに
2000年も生活し
歴史を刻み続けていたのですから、
素直に月の人にどうぞ住んでください
という感情にはなれないのです。
にもかかわらず
月の人はそんな
地球の人の考えに配慮する事なく
勝手に領地を決めて国を作ろうとするのです。
このあたりが
パレスチナ問題となぞらえていると
思われる点です。
パレスチナで起こった事と同様に、
この物語でも
同種の対立が生まれます。
月に自分たちの祖先と同じルーツを持つ
同じ人類がいることを知らない
地球の人にとって、
頂点を極めた科学技術を維持しつつ
巨大なロボットを従えて
巨大な宇宙船で地球に降りてきた事は、
宇宙人が攻めて来たのと同様に
脅威であり、恐怖でした。
一方、月の人から見て
地球人というのは、
太古の文化、科学の水準で生きている人たちであり、
自分たちの巨大ロボットに対して
プロペラ飛行機に
お粗末な機関銃で対抗しようとしてくる
野蛮人、蛮族としか映らなかったのです。
この辺りは
アメリカ大陸に入植してきた
移民者とネイティブアメリカンとの
対立構造もモデルとなっていると思われます。
月の人は自分たちの入植する
領域の境界にフェンスを立てて、
ここは自分たちの土地だと譲りません。
そのお陰で農作物などを収穫出来なくなったり
実際住めなくなってしまう。
地球に住む人はそれに怒り、
よそ者は出ていけの一点張り。
政治レベルでの打開策も
当然講じられるのですが、
双方の様々な思惑や遺恨によって
話がなかなかまとまりません。
ひとまずここまでの
話の流れで言える事。
それは現実のパレスチナや
その他の国境問題を抱える
社会、政治にも言える事なのですが、
双方、皆が皆
自分側の利益、権利を要求するばかりで
どちらも互いの事情を理解しようとしないし、
理解しようにも
共有し得る歴史観や価値観も持たない。
これが
国境でいさかいを起こし、
衝突する国家間問題の
根っこの部分なのですよね。
その根っこを育てた
種のひとつとなるのが、
自分の祖先は
あの民族に侵略され殺された。
だから自分はその民族を憎むだとか、
あの民族は卑しい民族だ
などと言った、
怨恨や差別意識。
これがあるから
多民族の事情を理解するための
感受性など育つわけが無く、
そうした土壌で育った
思想がさらに国家間でのギャップを広げてしまう。
ならばどうしたら良いのか。
どうすれば双方にとって
良い方向で話を進めていけるのか。
この疑問に明確な答えを見いだせる人など
多分いないでしょう。
いれば現実の
領土問題はとっくに解決している筈です。
このガンダムの話でも
結局、最終回になっても
月の人、地球の人双方の
民族間の問題は
解決しないままでした。
ただ、最終回で
「なんだかよく分からないから
ひとまず、とりあえず、
仲良くなる事からはじめようよ」
という事が言いたいんだろうなと
解釈出来るシーンが
さらっと台詞で語られる事無く
出てきます。
まずは仲良くなる事。
これって人付き合いの基本ですよね。
相互理解も
仲良くなってこそのものなのですよね。
そしてそれは
人付き合いの
極大の延長上である
国交でも同じ事。
当たり前過ぎて
見落とされがちですが、
政治的取り決めが
他民族と仲良くさせるわけではないのです。
まずは民間レベルでの
文化交流あっての
政治的国交だと思うのです。
文化的交流、
つまり民族同士が仲良くならないまま
政治的取り決めだけで
国交を樹立し、
移民者を受け入れるということは、
相互理解の無い他人同士が
同じ土地に住む事になる訳で、
それがいろいろな
誤解や齟齬、ストレスを惹起します。
それはやがて
人種差別を生み、
差別を受ければ
人もささくれ立っていくもの。
こうして治安が悪くなっていきます。
仲の良いもの同士だけで
集まって閉鎖的になるのもいけませんが、
何の理解も認識も無い
よそ者を国が認めたからと言って
自分の家に
すすんで快く住まわせる人など
いないでしょう。
このガンダムの劇中で、
政治屋が
解決しない植民地の領土問題に
頭を悩ませているのをよそに、
民間レベルでは
月の人と地球の人が
自然発生的に馴染んで
交流を生んでいるシーンもありました。
とにかくまず
互いが仲良くならないと。
国の政策云々以前に、
ひとりひとり、個人が
異民族と仲良くなろうとしないと。
知らない人がいるなら、
その人が何者かを知りたいのなら、
まず仲良くならないといけない。
まして何者かも知らないのに
先入観だけで
あいつは嫌いといって
はねつけてしまっては、
仲良くなんかなれないし
当然、相手の本質も分からない。
人が分かり合うためには
まず仲良くなろうよ。
別に人類が革新し
以心伝心で
互いに分かり合えるような
超能力的な感覚を身に付け
「新しい人類」に進化する事によって
始めて人は分かり合えるなんて
それではあまりに寂しいし、
寒い話です。
そんな難しい話ではなく、
本当にごくシンプルな事。
分かり合うために費やす時間は
ちょっとかかるかもしれないけれど、
人が人として
人と仲良くなるだけの話なのです。
ターンエーガンダムに込められた
メッセージの骨子は
まさにここにあると解釈しました。
そしてその骨子こそ
いちばんはじめ、30年以上前に
放送され、社会現象までになった
最初のガンダムの
「人はどうしたら争わずに分かり合えるか」
という投げかけの
帰結点なのでしょう。
大きく遠回りをして
人類を超越しなければそれは
叶わないと思えたけど、
実のところ
分かり合う方法は
いたって単純で
実に身近なもの。
普通に人として純粋に
太古の昔、
それこそ人が森で狩りをして
暮らしていたような時代からずっと
もともと脈々と持ち合わせている
仲良くなろうとする心同士を
重ね合わせる事で
人は分かり合えるのですよね。
仲良くなれば
相手の事が分かってくるさ。
たったそれだけの話。
劇中、主人公はこんな事を言っています。
『同じ人間じゃないですか。
子供だっているんですよ。
助けてあげてもいいじゃないですか。
死ねばいいなんて酷い!』
人が仲良くいられるなら
こんな台詞を言わずに済むんですよね。