僕の失敗

いい加減聞き飽きたと思います
この言葉。
『ご存知のように現在、
アルバムを作っている最中なわけですが』
とにかく
今までの僕のやってきた
音楽的な経験とスキルを
すべてつぎ込むつもりで
今、かんばっています。
ずっと
ララ・ルミナスとして、
鮎沢郁弥として、
曲を作ってmp3にして
ネットにアップしてという
繰り返しを続け、
こつこつと積み上げてきた物の
集大成になるよう目指しています。
そしてそれは
到達点であると同時に
原点である、そんな作品。
そんな今だからこそ、
この事は書いておかなければない。
それは僕の失敗。
知っている人は
知っている事なのですが、
僕はかつて
インディーズでCDも出して、
インディーズバンドを扱う
そっち系の雑誌にもたまに載って
取材も受けたこともありました。
もちろんツアーも回っていましたし、
今でもメジャーで活躍されている
ミュージシャンの方と
イベントなどでライブをご一緒させて頂いた
事もありましたし。
地元ではワンマンライブも
やったこともありました。
ブートレッグのライブビデオが
インディーズ関連の専門店に
売られていた事もあったそうです。
もちろんこれは
別に昔の武勇伝を
誇示しているわけではなく、
僕の失敗へ繋がる前振りだと
思って頂ければ良いかと。
そんな環境の中、
僕自身絶対にメジャーへ行く!と
意気込んでいましたし、
周りの人たちも
僕の才能を讃えてくれたりもしていました。
愚かな僕は
その言葉を真に受けて
どんな形にしろ絶対、
メジャーで活躍するミュージシャンになれると
信じて疑わなかったです。
でも現実はそうではなかった。
現状、蓋を開けてみれば結果的に
僕はそこら辺の人と同じ
ただの素人でした。
僕はどこで何を失敗したのか。
もちろん
実力が無かった、
これも大きな要因である事は認めます。
しかし本当にそれだけだったのでしょうか。
あくまで当時の話ですが、
実際にそのバンドをやっていた頃や、
そのバンドが解散した後
ちょっとの間、
メジャーというゴールに続く
道を切り開いてくれようとしてくれる
人との出会いもありましたし、
その道へと続きそうな予感のする
お話も頂いた事もありました。
僕はそれをすべて
ふいにしてしまったのです。
僕はその当時、
本当に思い上がっていました。
自分には人にはない
優れた才能があると勘違いし、
うぬぼれていました。
それ故に、
人の力など借りなくても
自分ひとりで成功を手に出来る、
そんな大きな勘違いをしていたのです。
でもね。
本当は自分ひとりの力のみで
人生の物事を達成させられるなんて、
そんな事はありえない。
いろいろな人が
助力してくれ、尽力してくれ、
その夢のために
一肌脱いでやろうと
言ってくれ、
応援してくれる人がいるからこそ、
そんな人の力があってこそ、
人は人生に於いて
社会的な成功を得る事が出来るのです。
人との関わり合いなくしては、
人は自分の人生すら
切り開く事なんて出来ないものだったのです。
自分が己の人生を切り開こうとする時、
それをサポートしてくれる人
誰かしらに
普通は出会うものなのですが、
当時の僕は
そうした純粋な人の善意というものを
受けて当たり前、当然という姿勢で、
自分のためにしてくれた
いろいろな事を
感謝しようなんて気持ちが
微塵もなかった。
それどころか、
ことごとく
差し伸べてくれる人の手を
自分で出来るからと言って
遮ってしまった。
そうしたらどうなったと思います?
ひとりぼっち。
本当に本当にひとりぼっち。
誰も手を差し伸べるどころか、
個人的な内容の口すらきいてくれない。
しまいには
その才能をたかられる始末・・・。
そして
それまで僕のいた
音楽の世界から捨てられた。
というより、
僕の驕りで自滅するように
自分から捨ててしまったのかもしれないです。
まあ、身から出た錆です。
もう、こうなってしまったものは
しかたがない。
例えば
ライブ一つするにも実際は
そのライブを主催、企画してくれる人や
音のバランスをとってくれる人や
照明でステージを奇麗に飾ってくれる人など、
いろいろな人の
良いライブを作ろうという気持ちが集まって
はじめてライブは成り立つわけで、
自分ひとりでそれをするのは
ほとんど無理です。
僕は自分のライブを作ってくれる人たちに
感謝の心をほんの一瞬でも
向けた事があったのだろうか。
正直、そんな気持ちは一切なかったです。
自分のライブをするために
人が自分のために動いてくれて
当然と思っていました。
これでは誰も
成功の道へ導いてくれはしないです。
客観的に考えれば
こんな奴に良い目を見せてやろうなんて
考える人がいるわけないです。
絶対に言えます。
その道は自分ひとりで
切り開けるほど容易い道ではないです。
これが僕の音楽人生に於ける
最初の失敗。
ここで僕は道を誤った。
これが自らの驕りで
人生を踏み外した人間の
末路、実例です。
でも、
今思い返してみればそれは、
自分の才能を持ってすれば
自分の人生は自分ひとりで
切り開く事が出来ると
思い上がった僕に対する、
神様からの厳しくも有り難く
大きなお叱りであり、
また
とてつもなく大きな愛ゆえの
プレゼントだったのだと
痛感しています。
「ひとりでやれると思っているなら、
望み通り
ひとりぼっちにしてやるから
その中で生きて勉強しろ!」と。
インディーズでやっていたバンドが
解散した後から
神様による
お説教ははじまっていたのだと思います。
僕の犯した最大の失敗の後、
大きく逸れて外れた道には
今日に至るまで、
棚からぼた餅的な幸運は
まったくやって来ないです。
なぜなら
幸運をもたらしてくれるような人も
いないわけですから、
降って湧いたような奇跡なんて
起こる筈も無いですよね。
幸運どころか、
道を尋ねる人すら通りかからない。
本当に自業自得です。
でもよくよく考えてみると
僕自身、自分のことについて
どうせ自分ひとりでは何もできない。
かと言って
僕の人生を変えてくれるような
人のつても無い。
そうやって諦めのスタンスで生きて、
未来を作ることを
自分から止めてしまったのではないかとも
思うのです。
これが僕の人生の第二の失敗。
谷底にいながら、
そこから登っていく努力を
放棄していたのだと思います。
登るのに誰も手を貸してくれません。
きっと神様は
「一人で出来ると言い切ったのだから
最後まで一人で、自分の力で登ってきなさい」
そう言っているのだと思うのです。
「人に頼らないと言い切ったのだから、
誰に人生の道を尋ねる事なく
ゴールに辿り着きなさい」
そう言っているのだと思うのです。
僕自身、すべて自分で実現出来るものだと
過信していたツケを払わされているのでしょう。
そんな人生を選んだのは
誰のせいでもなく
自分自身以外に他は無いのです。
孤立無援、八方塞がりの人生を選んだのは
結局、自分自身。
人のせいではないのです。
自分で選んだ以上、
その人生を最後まで
神様がまあそれくらいで
勘弁してやると言ってくれるまで、
しっかり生き切らないといけないと思います。
でも身をもって理解出来ました。
神様の叱る通り、
人はひとりでは何も出来ませんでした。
頂いた人の好意は
謙虚に受け取るべきなのです。
それを学んだ以上、
そうした生き方をして
未来を作っていくべきなのでしょうが、
いかんせん
谷の断崖、登ってゆくのに
どこに手をかけて良いのか
分からないのが実情です。
それでも昔は
その手がかりを探し続けた。
いつのまにか
それも諦めてしまったけれど。
自分の未来というものは
作らないでいると
どんどん時間だけが
足早に通り過ぎてゆくものです。
そしてあっという間に
何も作らないまま
老いていってしまうのでしょう。
これでは人生を生きたとは言えないです。
やはり、すべての道は断たれたとしても
それでもなお、と叫びながら
未来を作っていかなければならい。
人生をとはそういうものだから。
結局、
誰が手を差し伸べてくれようとも
その手に応えなければ
立ち上がれない。
自分の足で立とうとしなければ
立ち上がれない。
バンドを辞めて
もう10数年経ちますが、
この答え一つ導き出すためだけに
この10数年があったような気がするのです。
やっぱり生きよう。
人生を愛そう。