素粒子という自然

昨日、
この世界は究極的には
粒子しか存在せず、
もちろん今、
僕がこうしてパソコンに向かって
文字を打っている行為自体も、
素粒子の動きの顕われに過ぎない、
まあそのような話をしました。
世界は
素粒子が絶妙のバランスで集まって
エネルギーと密度を高め
「摂理」というものを形成しているのです。
物理や化学の分野において
「動的平衡」という概念があります。
対称的に相反する物事が
それぞれの方向で進行するにも拘らず
全体で見ると何も変わって見えない状態、
という考え方。
例えばシーソー。
右が上がれば左は下がりますよね。
片方が上がれば片方が下がる。
そうした状態の違いはあっても
それはシーソーであることには
変わりありませんよね。
そんな雰囲気が「動的平衡」という
状態の概念なのです。
この世界はこの「動的平衡」の力学で
成り立っていると言っても
過言では無いかも知れません。
素粒子がどう動こうが
宇宙全体からすれば
それはどんな状態であれ宇宙なわけですから。
またこうした素粒子の流れは
物質的にも、エネルギーという粒子的にも、
足らない所には入ってきて、
溢れた所からは出ていく
という性質を持っています。
そして最終的に
バランスの釣り合いが取れた
状態に落ち着くのです。
いわゆる
エントロピーという考え方です。
ヒッグス粒子が立証された今、
転がしたボールが
そのうち止まる時というのは
進む力と押し返す力のバランスが
等しい状態となった時と
考える事が出来るわけです。
地球上の自然に目を向けるなら
低気圧と高気圧。
気圧が高いと
空気は気圧の低い所へと
空気が流れます。
空気の密度が均等になるように
空気が移動するのです。
そして地震もそう。
地面の歪みを均衡のとれた状態に
修正しようという働きによって
起こるのが地震です。
昨年、未曾有の大地震によって
日本も甚大なダメージを受けました。
実際に地震の被害に遭われた
方々にとっては、
感情的に納得いかないことも
当然なことですが、
こうした自然災害に関しては
自然の摂理によって
なにかしらバランスのとれた状態に
戻すための
自浄作用であることを
この大地に住む人々は
納得しておかなくては
ならないのではないかと思うのです。
それは制御、抑制しようとすればするほど
どこかにしわ寄せがいってしまう。
バランスのとれた状態に
なろうとする作用、
つまり
エントロピーの法則と呼ばれる力学は
素粒子レベルから
全宇宙レベルまで、
全てに於いて存在しているのです。
だからバランスが偏ると
自然にそれを正すように
逆の力が働きます。
僕たち地球の住人である人間もまた、
この自然のエントロピーを無視した
人間のみによる独善的な
世作りをし、拡張していくと
そのうち
大きな反作用の力が働きますよ、
という事を
しっかり自覚しておかなければならない、
そう思うのです。
エントロピーの意志(力学)によっては
人類自体が消える可能性だってあるのです。
もちろんその結果というものは
自業自得なわけですが、
宇宙の摂理による自浄作用によっては、
つまり宇宙という大きな「場」の
バランスを保つという意味に於いて
人類の存在自体が
元の素粒子に解体されてしまう
可能性だって無くはないのです。
神様という宇宙の目線で見れば、
人もまたただの素粒子の集まり。
人類だけが
叡智の頂点に立つ存在であると
奢る事はあってはならないのだと思うのです。
そう考えて
人類の在り方について
襟元を正さなければ
いけないのではないでしょうか。