素粒子と現実

昨日あたり、ニュースでも伝えられていましたし、
また新聞でも一面で取り上げていましたが、
以前ここのブログでもお話をした
「ヒッグス粒子」という粒子のその後。
たしか僕がブログで取り上げた頃は、
どうもそれが実在するようだ
というスタンスで伝えれていたように
記憶していますが、
今回晴れて
その粒子の存在が断定される
運びとなった、
というのが昨日あたりのニュースなわけです。
知っている方もいるかとは思いますが、
一応ここで、ヒッグス粒子について
もう一度説明しておくと、
物には質量というものがあります。
その「物」自体が持つ「重さ」で、
地球の引力に
引きつけられる力などから
生まれる「重さ」とは違って、
例えば宇宙などの無重力の場所にあっても
存在する「重さ」のことです。
宇宙空間で「物を押す力=質量」
という解釈で、
まあとりあえず、
だいたいは良いのではないかと思います。
その物を押す時、その物が重いのは
ヒッグス粒子に押す力が遮られて
重さを感じる
ということです。
プールの中で歩くと
身体が重くなるのと
同じようなイメージです。
プールの中にたくさんの人が
いるとします。
このたくさんの人が物質だとすると、
プールの水がヒッグス粒子に相当します。
ただ、物質もこれ以上
分解出来ない限界まで分解すると、
ヒッグス粒子と同じ素粒子になります。
この素粒子に
「重さ」を与えて素粒子にさせているのが
ヒッグス粒子なのです。
あらゆる素粒子はヒッグス粒子とぶつかって
「重さ」を持ち、
移動するスピードが落ちる事によって
素粒子の性質を与えられ、
その素粒子が結びついて
原子となり、
原子同士が結びついて物質になります。
僕たち人間もまた
素粒子の固まりなわけです。
ということは、
この宇宙という世界は
ヒッグス粒子と
ヒッグス粒子によって
「重さ」を与えられた粒子という
二つの粒子で満たされいて、
例えば、「僕」と「あなた」も
その間にある空気も、
同じ粒子の密度や結びつきの
違いがあるだけで、
何もかもが粒子なわけです。
それこそ全知全能の神様の目線で見れば、
「僕」や「あなた」など区別なく
すべてが同じ「それ」なわけです。
さて、ここからが少し哲学的な話になります。
人がものを考えたり、
何かをしようとした時、
脳に例えば
ドーパミンだとかセロトニンだとか
そういった神経伝達物質が
脳内、ないし身体中を駆け巡ります。
人がもの思う時、
人が何かを行なう時に
駆け巡るその神経伝達物質もまた
素粒子で出来ているのです。
神様の目線では
素粒子が流れて見えているわけです。
それは海流のように、
同じ粒子の海の中を
流れているだけなのです。
身体を動かすことはもちろん、
ものを考えるだけで
素粒子は動くのです。
素粒子が動くと「質量」が発生します。
「質量」が発生すると
物質が形成される土台が生まれるのです。
脳の中の伝達物質の流れが
素粒子のレベルで
一定の動きをすると、
そこに一定の「場」が出来ます。
その「場」では
流れて動く素粒子が
流れの本流以外の場所にも
新たな動く流れを作ります。
それは波の様に
広範囲に伝播していきます。
例えば人が
幸せを感じた時の
脳の神経伝達物質の
一連の動きが
素粒子のレベルで振動して
周りの素粒子に干渉することで
それらが共振しながら
磁石の磁界のように
自分の身体の外へ発振し、
そこに「幸せ」と
感じるような粒子の動きの
「場」が出来るわけです。
理論的には間違いなく
そういうことです。
質量を持つ粒子が
一定の場を形成するわけなので、
もしかすると
物質さえ生成される可能性さえあります。
つまり、
考えるだけで
世界が動くわけです。
もちろん一人の人間の考えることが
全宇宙に影響を及ぼす事はないでしょう。
しかし、
間違いなく身の回りには影響を
与えているのではないかと思われます。
きっと必要な物は
そこに常にある。
と言うか、
必要な物すべてが
どこもかしこにある素粒子なのだから。
そして僕たちという存在もまた、
素粒子の動きのひとつひとつであり、
「大いなる一つ」の中の
一つの顕われであり、
すべては同じものとして
果てしなく繋がっている、
そう言えるのではないでしょうか。
=結論=
『愛は動いて生成される』