作曲法

実のところ
僕自身には
音楽を作る能力などというものは
備わっていないのかもしれません。
僕も音楽を作る人間ですが、
さすがに
人様がどういう思考回路を経て、
実際の音楽を作り出しているのかまでは
計りかねる部分もあるのですが、
思うにまあ、みんな
多少の方法論の差こそあれ、
僕と同じような作り方を
していると思うのです。
意識的にしろ、無意識にしろ。
・・・、というか
自分のような作り方でしか
音楽を紡ぎ出す術の見当がつかない・・・。
別の術があるのなら
逆に教えて欲しい。
正直な話、
僕は僕自身の思考力を持って
音楽を作っているという意識は無いです。
少なくとも僕の作曲人生の中で、
本当の意味で
「音楽を作れるようになったな」と
自覚し、自負し、
認識するようになってからは。
音楽は形の無いものなので
「花」に喩えて説明しましょうか。
その「花」は
どこからか・・・、
なんとなく上の方から?
ある日、ひょっこり届くのです。
「この花の絵を描きなさい。出来るだけ正確に」
と、託されるのです。
それは文字通り
一瞬の光の中に閉じ込められています。
その光を音に変換しなさい、
そう言って何者かが
僕の心に「それ」を置いていくのです。
何やら抽象的ですが、
比喩で言い表しているのではなく
実際にそうなのです。
だから僕は
その光から流れてくる音を
拾っていくわけです。
もうこれは、
僕が音楽を作っているというより
光という形で凝縮された音楽を
分解して実際に音にするという、
完全なる耳コピなんです。
もちろん歌になるべき音楽には
そこに
「こういう歌詞を付けてください」
という注文も付けられてきます。
「ここでこういう言葉を使ってください」
などと具体的な注文もあります。
指示通りに言葉を付けていって
完成したものを読み返すと、
ああ、こういう解釈も出来るのかとか、
こういう意味があるのかと
後になって
他人事のように
気付かされる事も
しょっちゅうです。
本当に僕は
その注文書通りに
音を並べ、言葉を付けているだけで、
僕自身が実際に持つ作曲能力で
音楽を作っているわけでは
ないのではないかと
訝しく思っているくらいです。
と言うか、
僕自身実際に
音楽理論、ソルフェージュは
ほぼ完全にマスターしている自負はありますが、
こうした僕の音楽のスキルは
全く応用されていないと言うより、
事実、役に立っていません。
単に耳コピしているだけですから。
よく、自分の作った音楽の
メロディなどを
ああでもない、こうでもないと
とっかえひっかえ弄る人がいますが、
え?見えてるもの(聴こえているもの)を
そっくりそのまま
過不足無く
音にすれば良いだけじゃない。
何で考えるの?
とよく思ったりします。
僕の経験上、
自分の欲をかいて
託された音とは違う音を
足したり引いたりすると、
その音楽は美しくなくなる。
まあ、それが
僕の作曲能力の無さに繋がる
証明なのかも知れませんが・・・。
届けられたものを
そっくりそのまま
音として記録するのが
結局、一番
美しく調和して、
何より完璧なのですよね。
そんなこんなで、
「これを音楽にしなさい」と
届けられてものを
デモ曲として音にし、
のちのち
きちんと清書として
録音し直せば、
いつでも人様に聴かせられるような
状態にまで達すると、
「お疲れさま。じゃあ、次はこれをお願いします」
と、次の曲が届けられる。
そしてその曲のデモを作りはじめ~、の
繰り返しなのです。
そして時が満ちた状態になった時、
それはきちんと録音し直され
ネット上にアップされる。
実はこれが僕の人生に於いての
最大の不思議だったりします。
どうも
「それ」を届けてくる人がいるっぽい、
そう薄々感じはじめ、
またそのうち届くんだろうなという
意識になってからは、
曲が浮かばなくて困る
という経験はした事が無いです。
現に、
託される曲に対して
それを人様にお聴かせ出来るような状態に
仕上げられるのは
物理的、時間的に限りがあるので
どうしても、ごく一部となり、
デモ曲という
在庫的なものは増えていく一方となります。
届け物をすべて
音にする時間が無いような状況です。
どうするんだろう、これ??
でもまあ、その辺は
きっと多分
録音し直して仕上げ、
人様に聴かせるべき曲も
誘導されて選んでいるような
気もしなくはないです。
今作っているアルバムでもそう。
姿も名前も無い誰かが、
「あの曲以前に渡したよね。その曲をここに使ってください」
そんな事を言っている
気配を感じています。
アルバム収録曲を選曲して
そのデモ曲を曲順の順番に聴いていくうちに、
僕に音楽、歌を届けてくる人の意図する
完璧なまでに綿密な
全体像が見えてきて(聴こえてきて)
戦慄さえ覚えます。
実際、現実問題として
僕の音楽などと言うものは
市場価値的には
とるに足らないほどに
規模の小さなものですし、
僕には託された音楽を
広めるだけの力も無ければ
商才も無い。
僕の音楽で1万円稼ぐ事すら
難しそうです。
それでもやはり
何かしらのいきさつがあって、
何かしらの意味を持ち、
何かしらのお役目を果たしているのだろうなとは
なんとなく感じています。
でなければ、
僕のもとに音楽を届けてくる人は
何のために
僕のものとに音楽を置いていくのかという
疑問に対する
理由、意味さえ無くなってしまいますし、
そうなると余計に
不可解な事実が多くなるのです。
ただしかし、
これもまた経験上の話なのですが、
僕自身のエゴが前に出てくると
途端に届いてくる音楽に対して
ピントが合わなくなって、
どういう音にしていくべきなのかが
見えなくなってしまうのです。
なので、
奇麗に正確に音楽を書き写すために、
また届けられる音楽を
受け取るのに相応しい受け皿であるために、
極限まで澄みきった心であるよう
常にメンタルの管理を
怠ってはいけなかったりするのです。