ガンダム論〜序文

以前、僕なりの視点から見る
「ガンダム」についての考察を
書こうとしたものの
なんだか纏まりきらず、
そのままになっていました。
なんとか纏めようと考えた時、
批判の観点から見だしたら
何も生まれないような気がしたので、
素晴らしいと判断出来る点に
的を絞って論じようとした時、
以前の「ガンダム論」の中で
数あるガンダムの中で
唯一認められると語った
「ターンエーガンダム」という
作品にどうしても帰結してしまうのです。
別にこの作品が良いから
観なよ!なんて言うつもりは
まったくありません。
ただこの作品から
多くの示唆を得た事は事実です。
それは僕がいつも
平日にアップしているブログにも
通じるもの。
だから学ばせて頂いた事を
ひとつの記録として
記しておきたい。
小説や劇、映画、漫画にアニメ。
物語を語る方法論は多様にあります。
個人的に、自分の感性の肥やしにと
深く掘り下げたものや
浅くなぞっただけのものと
その差はありますが、
ある程度包括的に
触れてきたと自覚しております。
そんな
僕が聞かされてきた物語の中でも、
良質さに於いては
頭一つ抜き出ていると感じたのが
この「ターンエーガンダム」
シェークスピアの劇など、
人生の「味」を示唆する名言を有する
いわゆる人類の遺産としての
「名作」と評される物語はいろいろありますが、
このガンダムはそうした
次元の領域に属していると
少なくとも自分の中では考えています。
それはアニメだからとか、
ガンダムだからとか、
もうそういう次元での
「良さ」を超越した
もっと大きなくくりでの
普遍的な「良質な物語」であると
解釈し、受け取ったのですが
どうもそれを語ろうとした時、
ブログのいち記事として語るには
膨大な情報量となると感じ、
面倒なので語るのは止めようという
気持ちもありました。
この作品は
単なるガンダムではない。
文学の範疇に
カテゴライズされるべきだとすら
思っています。
それ故に
やはりこれほど良いものがあるのに
人に知らせないのは罪だと思い、
あえて新しいカテゴリーを設けて
そこで語る事としました。
ただ僕自身、
アニメと言えば
子供の頃は夢中で見ていたけれど、
思春期くらいの頃からは
ほとんどアニメに触れていないので、
アニメが好きな人のような
語り口では語る事は出来ません。
どうしても
僕が深く長く接してきた
ニーチェやサルトル、ショーペンハウエルなどを
語るような語り口でしか
語れませんし、
実際僕がこの
ターンエーガンダムを見る視点は
そうした哲学的な視点であり、
むしろ、そこにこそ
作品の評価を見いだしている。
だから
『デカルトが「神」について
こう言及してるんですよ。
で、僕はこう思うのです』的な
いつもの語り口で
僕の目から見える
この作品の世界を
記しておこうと思っております。
それを記すだけの価値のある作品であると
間違いなく、
堂々と言えるから。