見苦しい大人たち

今日の新聞を読んで
ほとほと呆れたのは、
例の滋賀県のいじめの事件で、
被害者が
虐められていたという認識を
学校の生徒の半数近くが
持っていたにも拘らず、
教師は誰一人それを
「知らなかった」と言っている事。
どうも「知らなかった」と
口をつぐんでいるようにしか見えないのは
下種の勘繰りでしょうか。
その後、今日になって
実は虐められてるところを
目撃していましたという
教諭が現れたものの、
その教諭も
「じゃれ合っているだけだと思っていた」
と言っているのですが、
じゃあ認識していたのだろう、
なぜはじめに訊かれた時にそれを
証言しないのかと問いたいです。
行政の対応にしろ、
警察の対応にろ、
教育委員会の対応にしろ、
いちいち隠しては
事実がひとつづつ明るみになる度に
懸命に言い逃れをしているように
見えるのです。
「だって○○だったから・・・」
「誰がそんな事したの?いつ、何時何分何秒、
地球が何回まわった時?」
などと屁理屈をこねて
制裁から逃れようと躍起になっている様子、
どこかで見たような・・・。
そう。
小学生のこどもが
酷く叱られて、
それでも「だってだって」と
言い訳ばかりしている光景。
まさにそれをいい大人、
それも白髪まじりの初老の人間までが
それと同じ事をしているように見えます。
この事件の経緯を読むと、
事件が白日の下に
発覚してからの
大人たちの対応が、
何かにつけていちいち
子供染みている。
それも小学生高学年どころか
まだ10歳にも満たない
低学年の子供のような対応ぶり。
子供だったら
言い訳するんじゃないの!ピシャッ!
で済む話なのですが、
これを大人がそのままやっているから
見苦しいにもほどがあります。
大人もここまで堕ちるかと
逆に感心してしまうほど。
そもそも教師の
「認識が無かった」発言も、
これで沙汰を逃れられたと思ったら
大間違いです。
例えば食べ物屋。
そこで出されている料理で
食中毒を起こした人がいて、
それによって死者が出た時、
「食材が病原菌に汚染されていた認識は無かった」
で、許されて済まされませんよね。
行政的には当然、
業務は停止されるし、
衛生管理の徹底を怠った
業務の責任者は断罪されます。
管理不履行ですよ。
明らかに処分の対象となる事案です。
調べると、
食中毒を起こした店の
調理の責任者は
調理師の免許を
最低1年間は剥奪されるそうです。
いじめに気づかず
自殺者を出してしまった
その教育者たちの業務も
同様に停止させ
しっかりと断罪すべきであり、
いじめの現場を目撃したにも拘らず、
それをいじめと判断出来なかった教師など
教員免許を剥奪すべきでしょう。
あきらかに
そのような者たちは
教育者として不適格であると言わざるを得ません。
何故それが出来ないのか。
理由はひとつ。
公務員だから。
加害者も、それに加担した者も
そしてまた傍観者も
すべてが罪人です。
そこに悪しき聖域はあってはならない。
そんな罪人を
公の職に就かせてはならない。
のうのうと
業務をさせてはならない。
形式として頭を下げれば
皆が納得すると思うほど
世の中、世情、民意は甘くはないです。
公務員は社会的制裁を
受けなくていいなどという
認識はこれまさに
社会の癌です。
このまま逃げ切れると
高をくくるなかれ。
今回のいじめの構図は
今の日本の構造的障害の
縮図そのままであると考えます。