デモと革命

今、国民が怒っています。
ちょっと前、
政府にNoを突きつけたデモに対して
「大きい音だね」
と他人事のようにのたまった様は
フランス革命直前の
「パンが無いならケーキを食べれば良い」
と言い放ったシチュエーションを
想起せざるを得ません。
「パンが無いなら~」の発言は
マリー・アントワネットが言ったとされていますが、
実はこれ本当は
別のとある貴族夫人が言った言葉で、
革命後にちゃっかり生き残った
元貴族たちが
マリー・アントワネットが言った事にして、
責任逃れの口実として
捏造された事なのだそうです。
それはさておき、
今の日本、
いや世界的な事でもあるのかも
知れないのですが、
この世情というか、
国民の生活に漂う空気感のようなものが
フランス革命直前の
状況によく似ていると思われます。
まあ、それは特にフランス革命に限って
類似性が見られるというわけではなく、
大抵の革命は
圧倒的マジョリティである
市民の貧困と
ほんのごく僅かな
マイノリティであるところの
富裕層との
格差による軋轢が
元になって起こるものです。
少なくともフランス革命のケースですと、
市民の貧困が進む中、
王侯貴族が支配する
フランスという国自体も
財政が破綻していたのです。
国庫は枯渇し、
莫大な債務を背負っていました。
政治レベルで
この危機を回避するべく
税制、財政の改革、
リストラなどの構造改革を
試みようとしたそうです。
しかしそれによって
不利益を被る特権階級層が
改革を望まず、
改革案が出ては消え、
問題は先延ばしの状態だったそうです。
それでも国にはお金がない。
借金もどんどん増えてゆく。
少しでも国の歳入を増やすため、
その割を食ったのが平民でした。
平民にとんでもない税金を課したのです。
貧困に喘ぐ平民層に国の予算、借金を
押し付けて、
王侯貴族は変わらず贅沢な暮らしぶり。
そして市民は怒った。
これがフランス革命のきっかけです。
では日本でも革命が起こるのか、
と問えばその答えは否でしょう。
今日本で行なわれているデモは
まだストレスのガス抜きレベルのものです。
何だかんだ言って
デモに参加する人でさえ
国家転覆など本気で考えてはいないでしょう。
所詮、今の日本のデモは
まだイベントの域を出ていない。
本当の革命を起こすには
国民の貧困への深刻さが
まだ足らないです。
実は日本の国民のほとんどの人が
逼迫していない。
困窮していない。
政治に文句は言いたいが
政府を含む政治そのものを
壊そうとまでは思っていない。
革命などは本当は
起きない方が良いのです。
なだらかに是正、改革されて
収まるべきところに収まるのなら
それにこした事はないのです。
革命には危険が伴います。
もちろん死者も出るでしょう。
そして革命が達成された後となると
そこに独裁者を生む
素地が出来る危険性をも
はらんでいるのです。
既存の支配構造を解体したところで
そこから新たな世作りをする事を
考えた時、
どうしても指導者が必要になってきます。
それが結局
新しい支配構造を作るだけで
やがてはその構造も腐敗し
そして新たな革命が起こる。
フランス革命後のフランスも
国の頭を王様から
ブルジョアに挿げ変わっただけ。
そしてそこに
ナポレオンという
結果的、実質上の独裁者を生み出しました。
同じ事の繰り返しです。
なぜ革命と言いながらも
同じ過ちを繰り返すのでしょう。
それは結局、
人の意識が変わらないからです。
多くの人の意識が
支配者と被支配者という
社会構造に対して、
世の中そういうものと
意識的にせよ、無意識にせよ
そのように是認してしまっているため、
更地になった社会に
新しい何かを構築しようとしても、
支配者、被支配者による社会構造という
旧来からある
設計上の欠陥のある
同じ設計図を元に
それを構築してしまうので、
結果が同じになるのです。
真の革命は
悪しきオピニオンを倒す事ではないのです。
人間ひとりひとりの
意識の変革無くして
真の革命は起きないです。
だからそんな
エキセントリックな手段に出ずとも、
まずは既存の構造が
健全な民意の元に
緩やかに代謝していく事を
肯定的に促進し、
自浄作用がくまなく機能する
風通しの良い
社会構造の在り方を見つめ直す、
そこからはじめれば良いのだと思うのです。
人の意志が変われば
過激な物理的行動にでなくとも
自然にその構造は変わっていくものです。
人の長い歴史を見ても
人の文化の移り変わりというものは、
マジョリティの認識の移り変わりであり、
それは静かに変遷してきた。
むしろ過激な暴力に訴えて
取って代わった事例の方が
特例なのではないかと思われます。
だから本当に世の中を変えたいと
願うのであれば、
どういう社会が望ましいのかという
自分の意識を明確にし
必要なら自分のそれを
変える必要があるのです。
意識を変えなければならないのは
圧倒的マジョリティの
一般国民だけではありません。
一握りの
ブルジョアや
特権を持つ人間もまた
己の利権を捨て
意識、価値観を変える
勇気が求められるでしょう。
フランス革命では
この特権を持つ者がそれを手放すのを
拒否し続けました。
果たして今の日本にいる
特権を持つ者は
今ある甘い蜜を放棄する事を
受け入れられるでしょうか。
特権を持つ者が
この「害をなす聖域」を解放しない限り、
いつかフランス革命の再現を
見る事になってしまうかもしれないのです。
まだ国民がデモと称したイベントで
わいわいと騒いでいる
今のうちなら
まだ引き返せると思うのです。
国民という圧倒的マジョリティが
「血を見なければ国は変わらない」という
意識を持つ前の今なら。
インターネットは
レジスタンスを容易に結託させる環境です。
昔のように
秘密の地下倉庫で蜂起の手だてを練る
なんて事をしなくても、
自宅にいながらそれが出来るわけですから。
実際、そのようにして
革命は起き、独裁者は追われました。
とある国では
国体を維持するための思想を
維持するために、
良からぬ思想が流入しないよう
ネットのアクセスに制限をかけて
情報統制をしているくらいです。
おそらくそこを飛び交う会話も
監視しているでしょう。
日本を動かす歳の取った
議員のおじいさん、おばあさんは
平和ボケしているのか
はたまた本当に考えが及んでいないのか
分かりませんが、
そんな情報統制は建前に過ぎない事に
気づいているのでしょうか。
血眼に情報統制をしいてまで
怖れているものは何なのか。
高をくくっていると
飼い犬も噛みますよ、という話です。