哲学の読み方

哲学の本、
それはもしかすると
宗教的なものや
精神世界的な本も
そうなのかも知れませんが、
こうした本には
読み方があるのです。
こうして書いている
この記事ですらそう。
そこから何かを学び取ろうと
能動的な姿勢で読むのは、
きっと間違った読み方のような気がします。
「ふふん、おまえの戯言聞いてやるよ」
くらいの
ニヒリズムをもって
それらの書物に
対峙した方が良いと思います。
まして
「先生!勉強させて頂きます!!」
なんて姿勢で読むのは
もってのほか。
こういう姿勢で
この手の本を読むと、
自分の個性、指向が汚染されて
「自分の軸」がズレてしまう。
こうなってしまうのは
ちょっと自分のためにならない。
まず、
然るべき場所に収まった
自分の軸あってこその
この世の真理なのですよね。
これが無いと
実は真理への扉は開かない。
そういう見地からすれば
多分、思想、哲学の類いに
自身の薬となるものより
毒となるものの方が多いかもしれません。
だから、
その本などで語られる考え方は
話半分で聞くに留めておいた方が
良いように思えます。
ただ、
そうした書物を読むにあたって、
自分の心に留まったり、
何かしら感じるもののある
単語なりセンテンスに関しては
大切にした方が良いと思います。
そこから大きく
想像を膨らませて
自分なりの理解を確立して欲しい。
それは書物の論旨から
逸脱するイメージであっても構わないのです。
心に留まったという事は、
その言葉なりセンテンスは
必ず自分にとって
何かしらの意味を
持っているものなのです。
その気にかかったものの実体を
自分の内的世界からたぐり寄せる事は
しっかりやっておいて
損は無いと思います。
きっと必ず、何かしらの
示唆を得る事が出来る筈ですから。
要するに
自分の認識、想像力を
主体に固定して
思想系の書物を読まないと、
本来自分の独自性という
主体まで失う怖れがあるのです。
このような書物、
きっとそれは
この記事もそうなのだと思います。
読んだ後は
著者に対して
「はいはい。
寝る前にちゃんと精神安定剤飲んどけよ」
と、一瞥くれてやるのも
必要な事かもしれません。