いじめっ子は大人が育てる

いじめが話題になっています。
というか
いじめは人類にとって共通の
永遠の問題であり、闇であると思うのです。
ただしっかりこれは
理解しておいた方が良いです。
子供がやっているいじめは
大人が教唆しているのだという事を。
子供は、特に反抗期などに噴出する
有り余った鬱憤を
建設的かつ健全に
表現するスキルを持たないから
間違って暴力で表現しようとする事もあるし、
鬱憤のやり過ごし方も
実際に心得ていないもの。
一方、
大人のいじめは
子供のように
負のエネルギーを
直情的に分かりやすく表現しない。
もっと狡猾で陰湿です。
そして開き直る。
実際に
殴ったり殺したりはしませんが、
社会的には完全に抹殺します。
標的を
生きながらにして殺す術を知っているのが
大人です。
人を憎む、妬む、
肌に合わない人間は社会から追い出し、
二度と入ってこれないようにする。
それならいっそ殺せと思わせるような
地獄へと導いていく。
しかも悪い事に、
法や義務、権利というものを盾に
自分こそが
被害者であるような振りをして
平然と正当化してしまう。
これが大人のやり口です。
子供はそんな大人の
後ろ暗い部分を敏感に察して、
異質なものは
排除すべきなのだという事を
大人から学ぶのです。
当の大人も
大人によるいじめによって
社会から排除されたくないから
人の機嫌を伺い、
そして疑心暗鬼になって
自分の周りすべてを敵にしてしまう。
そんな大人を見て子供が育つから、
そうして育った子供の身の回りも
敵だらけになり、
有り余る直情的なエネルギーに任せて
暴力をエスカレートさせていくのです。
子供のいじめも
凄惨化してはいますが、
これも所詮は
大人による
いじめの構造をデフォルメした
ミニチュアに過ぎないのです。
子供のいじめが残忍になっている時、
大人の世界の闇は
それに比例するように
より真っ黒になっているのです。
子を育てる大人が
闇の住人であるなら、
そこに育った子供もまた
闇に育てられた
闇の住人なのです。
その子供の闇も
大人の闇に比べれば、
文字通り子供だましのようなもの。
そこを自覚しておかないといけません。
まして大人がそれを隠すなど
もってのほか。
それを見ている子供に
背負ってしまった罪の
隠蔽の方法までも教えているのです。
悪いことをしても
隠しておけば良いと。
大人が隠せば
子供はそれを真似て
ますます隠す事を覚えます。
いじめの犠牲者とは
大人の犠牲になった者なのです。
子供が人をいじめる手段は
すべて大人が教えているのです。