因果の輪

よく歴史は繰り返すなどと言いますが、
長く生きていると
それこそ世界で起きている様々なことのような
マクロなことから、
個人的で些細なそれこそミクロなことまで、
いろいろな場面でそれを痛感する経験をするものです。

ただ思うに、
無為にそれは繰り返されているわけでは
ないのだろうと思うのです。

ここでいう歴史というものは
人間が作り出してきたもののことを言います。
季節のように淡々と過ぎていく時間とは違います。
人の行いがあってはじめて動く時間のことなのです。

歴史が繰り返すということは、
抗えない時代の流れとは少し違うように思えます。

人が似たようなシチュエーションに対面した時、
同じ反応や行動をするから
同じ結果に至るわけで、
その時の反応や行動が変われば
また違った結果が導き出されるものなのです。

繰り返される出来事の発端には
変わらない人の行いがあるのです。

過去と同じ状況に遭った時、
同じ振る舞いをするから
人は永劫回帰の輪から脱することができないのでしょう。
振る舞いを変えてしまえば
新しい結果がもたらされるはずです。

善い永劫回帰は留まっていても良いのかもしれませんが、
悪いそれは、いつまでもそこにいて良いはずがありません。

けれど人間とは面白いもので、
善いことは、その場限りで喜んで
さっさと過去という時間へ流してしまいます。
そのくせ、悪いことは
何かにつけて引っかかってしまうものなのです。
引っかかっているものを
見ないようにしていると、
本当にやがては忘れてしまうかもしれませんが、
引っかかったままの振る舞いは変わらないから
同じ失敗を繰り返してしまうのかもしれません。
そして、その原因を忘れてしまうから
なかなかそれを解決できずに
いつまでも同じ場所に留まり続けてしまう。

それは個人的な割と取るに足らないような
些細なことから、
世界的に深刻な問題まで、
あらゆる場面にその構造が根を張っているのです。

今、そこで起きていることが
なぜ起きたのか、
それを多くの人が知らないし、
その現実に対して
繰り返しから脱却する術があることさえ
気がついていないのです。

つまり、
人は在り方を変えない限り
永遠にその世界を生きることになるのです。

この世界があることも、
この自分がいることも、
どこかに必ず原因があって、
その結果が今なのです。

この因果の輪を
ひとつずつ脱ぎ捨てていくことで
人は成長していくものなのかもしれません。