世界は球体である

人の不幸の話となると
嬉々として聞いたり話したりする人がいます。
そういう人は割と多いのでしょう。
だからマスメディアは
そういうものを多く取り扱うのだと思います。

意外と、上昇志向で
「上を向いて歩こう!」
というポジティブなメンタルを持っている人の方が、
人の不幸の味は好物かもしれません。
あからさまではなくても
潜在的にはおそらく、
その意識は「不幸」にフォーカスされやすいと思います。

なぜなら下ばかり見ている人も
上を見続けている人も、
結局は「縦の世界」を生きる人だから。

もちろん、一般的には
全く上しか見ていない人、あるいは
下しか見えていない人というのは
そう滅多にはいないでしょう。

人の世界というのは
「縦の世界」だけではなく
「横の世界」というものもあります。
高さの概念はなく、
遠いか近いかという認識の世界です。

遠くまで見える人は
「横の世界」は広いと言えるし、
極端に言えばこの「横の世界」が
「点」になってしまっている人というのは、
自分以外、つまり自分の外側の世界が
無いと言えるのでしょう。
俗に言う「視野狭窄」というやつです。

さて、四六時中、
ネットからのニュースや情報に曝されていると、
人間というのは「横の世界」が狭くなっていくのです。
情報源はスマホやパソコンなど、
ネットからという人は今、多いと思います。
もっともネットが悪だというわけではありません。

世の中のことはテレビでしか知らないだとか、
新聞でしか読まないとか、
古くからあるメディアも含めて、
あらゆる情報ソースのチャンネルがあるにもかかわらず、
単一、あるいはせいぜい2つとか
それほどしか情報のチャンネルを持っていないことが
人の認識の視野を狭くさせるのです。

問題は「だけ」とか「しか」
という行動様式が習慣化してしまうことなのです。

僕が子供の頃は
「漫画ばかり読んでたら」とか
「ゲームばかりしてたら」とかしたら
馬鹿になると親から叱られたものです。

これは正しいです。ただし半分だけ。

多感な頃に
「勉強ばかりして」いても
人として馬鹿になります。

子供をいい大学に入れるために
徹底的に子供を遊ばせず、管理して
勉強だけをさせようとする親がいます。

そうすると上述のように、
子供は「横の世界」が狭くなり
「点」のようになってしまうことは明白です。

社会というのは「縦の構造」だけでも
機械的には機能しますから、
人の視野は「縦の方向」にしか広がらなくなるのもまた
「横の世界」を「点」にしてしまうことを
さらに助長させます。

その結果が今の日本人です。

スマホやパソコンとだけ向き合って、
他人とコミュニケーションするにも
直接やりとりせず、
いちいちネットを経由しないと
意思疎通ができない人たちもいるくらいです。
こういう状況は
「横の世界」が「点」になっている状態です。

冒頭の人の不幸を面白がる人というのは、
ネットで貶したり、毒づいて
「縦だけの世界」の上へ上へと登ろうとしているのでしょう。
上昇志向の人も同質です。
上に登らなければ自己が実現されないと思っているのなら、
人の不幸を面白がる人と変わりはないでしょう。

そういう世界を「辛い」と感じられる人は
まだ救いがあるでしょう。
しかし、感覚が麻痺して
世界とは「縦にできている」と信じ込んでしまう人は、
どこかで、そうではないと気付かない限り
死ぬまで不幸でしょう。

「縦の世界」を否定して
「横の世界」にしろというのではありません。

人生という体験は
「球体」で出来ているのだということです。
もちろん、その球体の核は
自分の精神、心です。

そしてその「球体」が
いびつであるところに
人はストレスを感じるのです。

人生という世界が
完全な球体になった時、
おそらく
永遠の肯定が待っているのだと思うのです。