今年の目標!

改めまして、
明けましておめでとうございます。

2016年です。

残っているブログとしては
最も古いものが2008年4月ですから、
おそらく、この調子だと簡単に
「ブログを書いて10年」
とか言えちゃいそうな気がしております(笑)

さて、
一応僕なりに今年の抱負なるものを
掲げておこうと思います。

元日に一年の計を思うのは
僕の人生、初めてかもしれません・・・。

とにかく今年は
新しい街での年明けとなりましたし、
いろいろ、自分の人生の行いを
省みたりしながら考えたのです。

もう、シンプルに生きよう。

これに尽きる。

とは言え、
「お前の書く文章は全然シンプルじゃない」
と言われてしまっては
身も蓋もないのですが、
そういう意味での「シンプルさ」ではありません。

なんというか、
もっとこう、理にかなったシンプルさ
と言うのでしょうか。

朝に起きて夜に寝る(逆の生活もまたありとして)、
くらいにシンプルな、
この世界、あるいは宇宙とでも言うのでしょうか、
そういうもののバイオリズムに適合した
生き方、考え方、
そういうものを目指していけたらと考えたりするのです。

そうは言っても、
これは並大抵の難しさではないと思います。

まず、「人の我によって立つ」
普通の生き方を改めなければならないだろうし、
また世の中自体も、
自然な摂理を無視して
「我によって立たせるように」
構築されているからです。

あたかも
「我によって立たないと生きていけない」
かのように刷り込まれてしまっているけれど、
長く生きていると、
少しずつそうした
「我によって立つ生き方」をすることの方が
無駄に余計にしんどいと気づくもの。

特に日本人は、
しんどい経験をすれば
無条件に徳のある人であるかのように
評されますが、
そうではないと思うのです。

無為な労苦は負う必要はないのです。
けれど、本当に追わなくてはならない労苦に関しては
実は棚上げにしてなかったかのように
意識の外へ追いやってしまうのが
人の業なのだと思います。

生きること、それ即ち
ただただ極論として
存在すること、それ即ち
一切の無駄を省くところに見えてくる
美しさであると思うのです。

それを叶えるには、
シンプルに生きるということが
必要なのでしょう。

言ってしまえば、
自分の内的世界の断捨離ですよね。

心の成長を停滞させてしまうようなものは
全部、本来必要のないものだと思うのです。

これを今年だけと言わず
これからも生涯をかけて
取捨選択していき、
シンプルな自分でいたいなと思うのです。

うまく言えないのですが、
可能な限り
肯定的な自分でいよう、
そう考えたりします。

だってきっと、
これからの時代というのは
「我によって立って生きている人」にとっては
不都合で辛いと感じることが
いろいろと出てくる、
そういう時代ですもの。

とりあえずまず、
「我によって立つ世界」
これが僕にとっては
要らないものであって、
まずここを解体しないと
シンプルに生きられないと思うのです。

それが2016年からの僕です。

そういう自分でいよう。