1月3日の寂寞感。

1月3日の空気っていうのも
あると思うのです。

いろいろな意味での
「終わってしまった感」が。

特に今年などは、
土日と正月休みが
ぴったり重なっているので、
その空気は非常によくわかります。

大人にとっては
良くも悪くも疲れの残る
連休最終日ですし、
子供にとってみても
お年玉というボーナスタイムの
リミットを知らしめられる日でもあります。
何れにしても、
そこに漂う寂寥感は
まさに祭りの後というべき空気です。

この時期、
未だ浮かれている(いられる)のは
思春期以降の学生だけであり、
そう考えると
学生時代という時代は
おそらく、人生にとって
非常に貴重なモラトリアムなのだろうなと思えます。
いや、別に馬鹿にして言っているわけではなく、
客観的な事実として。

こういう時期に
勉強ばかりしていても
ろくな大人にならないし、
こんな時期から
妙にバランス感覚に長けた
平坦な生き方をしてもまた
つまらない人間になってしまうものです。

それぞれの価値観によって
いろいろな見方はあるでしょうが、
こういう何においても
猶予が与えられている時期にこそ、
「間違ったほうがいい」と思うのです。

もちろん、どう間違うかは
本人の責任のもとではあるのですが。

その犯した「間違え方」によって、
人間はその後に
善人にも悪人にもなりうるのです。

いつまでも「人生の正月」に
しがみついていると僕のようになる(笑)

これは多分、人生の筋道としては
間違えた部類に入る生き方であることは認めます。
間違えたものは仕方がありません。
けれど僕は、
善人ですか?
悪人ですか?

明日からまた、
『いつもの同じ社会』が動き始めます。