ネットの履歴は閻魔帳

絶対に人に見られたくないものの中に
「ネットの履歴」を挙げる人は
少なくないと思います。

ここまでネットが
人間の生活の中に普遍的に入り込んでくると、
「ネットの履歴」によって
その人のメンタリティが
あけすけになってしまうからです。

それほどにネットでの行動は
その人の精神を如実に反映するのですから、
おそらく
本音と建前を使い分けることのできる
現実社会での振る舞いから推察される
人間性はいくらでも詐称することができるのでしょう。

けれどネットは
何もかもがそのまま、
その行為がそのまま、
その人の精神を露わにします。

そういう人の心があけすけになる世界だからこそ、
自分の心理に適合した情報を得ようとすることで
メンタリティの合う人同士で
コミュニティが作られ、
人の精神による住み分けがなされているのが
ネットの世界。

天国もあれば地獄もあり、
それぞれの場所に住人がいます。

自分の住む世界は
「ネットの履歴」で簡単に判別できるのです。

嘘のつくことができない世界。
そして、自分の心を鏡のように映し出す世界。

これはもう、止められない流れなのだと思います。

なんでも履歴が残るようなものは
怖くて使えないと言って、
ネットから遠ざかると
それはそれで
現実生活に欺かれてしまうでしょうし、
ネット上で巻き起こるあれこれについて
目を逸らすことは、
おそらく自分の内的世界を
見失うことにもつながるのだろうと思うのです。

それほどにネットというものは
見過ごせないツールになっているのですが、
全世界がこのネットの技術を
今の先進国の人たちと同じレベルで
利用できるようになった時、
人類は形而上に新たな国境が生まれるでしょう。

それは同質の内的世界を持つもの同士で
寄り集まる世界です。

今でもすでにその兆しは見えているのですが、
人はネットに依存し、のめり込むほどに、
精神による世界の住み分けの動きが加速していきます。

どの世界へ行くかを問われる時はもう過ぎたのでしょう。
今いる場所が、やって来た世界なのだと思います。

今の人類の最後の審判は、
意外と自分で下していたりするのです。

そう、ネットの履歴こそ
閻魔帳なのです。