ロックが天に召されていく・・・

デビッド・ボウイが亡くなりました・・・。

個人的には
ボウイは僕にとって
直接的なオピニオンではなかったと思います。

けれど、
彼がいなくなったことの
この「喪失感」はなんだろうと思う
自分がいるのです。

彼の音楽というのは、
いまいち捉えどころがないと僕は感じていました。
特徴がないのが特徴とでも言うか。
そして音楽以前に彼は
「デビッド・ボウイ」だったのでしょう。

そういう意味では、
僕の音楽観、ロック観の中で
彼の存在感はとても大きかったのだろうと思えます。

今年はまだ10日ちょっとしか経っていませんが、
奇しくも先日は「Motorhead」の
レミー・キルミスターが亡くなったばかりです。

思うに、
人類のポピュラー音楽というものは
ビートルズ以前と、以後で
時代区分が分けられると考えています。

Mitorheadのレミーにしろ
デビッド・ボウイも
ビートルズ以後の「ロック」の
礎を気付いた人たちで、
主に1970年代から80年代に活躍した人たちです。

そして2010年も半ばにさしかかり、
そうした「ロックを作った人たち」が
人生を全うしてもおかしくない年代になりました。

これから確実に
「ロックの基礎を作ったヒーロー」が
次々と居なくなっていくのでしょう。

と同時に、世界的な流れを見ても
「ロック」という音楽は
もう求められなくなったとも感じられます。

人類全体が
「マッシヴで反体制的なメンタリティ」を
持たなくなってしまったのだと思えます。

本来ロックという音楽は
人間の精神の最も崇高な部分を
織り交ぜることのできる
最も「下品」な音楽だと思うのです。

人もまたロックの中に潜む
崇高な部分を感得するだけの
メンタリティを持った人がいなくなってしまいました。

心から彩りが失われ
もう精神が揺れない人たちの世界にあって
ロックという音楽は
もう無用のものなのでしょう。

故に、
このままロックはこの世から消え去るのです。

ただ忘れてはなりません。

ロックが消えたのは、
この世がただでさえ低俗なロックより
さらに低俗になって、
そんなものさえ
人は感得できなくなったからなのです。

ロックが消えたのではない。
人が堕ちたのだと。

そして、ロックは天国へ入っていくのです。

最初に、
デビッド・ボウイは
僕のオピニオンではないと言いましたが、
そんな僕でも
彼の1971年のアルバム
「Hunky Dory」は
今でも僕の愛聴盤です。