異邦

僕の過去、だいたい20年くらいの
長期間のスパンで省みると、
僕自身きっと基本的には
心を閉ざし続けてきたように思えます。

20年前というのは、
僕にとっては実際のところ
公私ともに色々なトラブルやストレスを
相当に背負い込んでいた、
そういう時期でした。

ともすれば、
それ以前から僕の心の中には
色々な闇を抱えていたかもしれません。
逆にその反動で
自分で何もかも、一人でやれるんだと
過信していたところもありました。

けれど結局、
何十年もそういう生き方をしてきて悟った事といえば、
やはり人は一人では何もできないという事。

と同時に、
自分の居場所というものは
自分一人では作る事ができないのだとも
思い至りました。

色々な人たちと共に生きるからこそ、
自分の居場所、そして自分の世界が
成り立っているのだと
ようやく気付いたと言うか。

僕は自分の世界だけを追求し過ぎたような気がします。

それはそれで確かに得るものが
あるにはあったのですが、
世界に自分一人しかいないのなら、
何もかも、する事なす事
全ては無意味なものに過ぎないのだと
痛感するのです。

自分しかいない世界に、
自分が居る場所などできる筈がないのだと。

そういう意味においては、
恐らく僕は自分の人生を
結構早い時期から間違えて、
それを修正する必要性に気が付かないまま
ここまできてやっと、
自分の人生が失敗していた事に
気が付いたのです。

ひとりぼっちなんだと
肩をすくめているうちは
まだ救われるでしょう。
なぜなら、そういう孤独を
聞いてくれる人がいるから、
そんなうさも独りごちる事ができるのです。

自分の居場所がないと、
そんな言葉を受け止めてくれる人さえ
居なくなるのです。

自分にとって、
とこもが異国であることは、
きっと人からすれば
僕という人間は
異邦人なのでしょう。

正直な話、
僕とこの世を繋ぐ接点は
本当に音楽だけなのだろうなと
最近は考えています。

こんな僕はどこへ帰れば良いのだろう。

帰る場所がない事が、
居場所がない事なのだと思います。

やがて、僕という人間が
本当にいたのかどうかも定かでないと
そんな風に言われそうな気もしたりします。

だからと言って、
別にこれ、病んでいるというのとも
少し違う気もします。

目の前に広がるこの
空白は何なのだろう。
そこには苦も楽もなく、
ただただ自分だけしかいない世界。

そこに僕は居るのだから、
ここが居場所なのかもしれませんが、
目の前にあるものは全てが
虚構、夢まぼろしであり、
その真空の中でたったひとつ浮かぶ
木の葉が僕なのでしょう。

ここは、
孤独よりはるかに底が深い境地。
自分しか居ないけれど、
宇宙全体が自分であるという感覚。

まあ、傍目には
病んでるようにしか見えないかもしれませんが・・・。