せめて伝えよう

先週、
僕の音楽は売れる気がしないので(笑)
自分が良いと信じる音楽を
作っていこう、という話をしました。

その延長の話ではあるのですが、
やはり売れる売れない以前に
「伝える」ということは
すごく大事なことなのだろうなと感じます。

とはいえ、
「伝える」という行為自体
実に主観的というか
ほとんど自己申告みたいなもので、
「伝えるんです!」と言ってしまえば、
見かけ上は誰でもエバンジェリストになれるわけなのです。

「愛を伝えたいのです!」
「希望を伝えたいのです!」
「夢を伝えたいのです!」

そうパフォーマンスをすることで、
それがお金儲けになるのは別に良いのですが、
そこに本心が有るか無いかで
貴賎が分かれると思うのです。

本当に伝えたくて伝えるのか、
お金が欲しくて伝えるのか、
この差は他人の誰にもわからないけれど、
本人だけは一番よく知っているはずです。

清貧が美徳とは思いません。
けれど
悪態を吐くくらいなら
綺麗事を並べた方がはるかにましです。

音楽に関わらないことなのでしょうが、
何かにつけて
大勢の人の注目が集まる人について、
その多くの人を惹きつける何かが
果たして
利己的なものであるのか、
あるいは利他的なものであるのか、
それを見極める目は持っていたいと思うのです。

だから僕に場合で言えば、
まず売れないだろうなと腹をくくったうえで、
売れないうえに伝わってもいないことを
これは最悪だなと身震いがする思いがします。

せめて、
気に入られなくても
分かってもらえなくても、
そしてそれらが
人からすれば難しいことだったりしても、
伝える努力だけは
怠ってはいけないし、
放棄してもいけないのだろうなと感じるのです。