「気持ち悪い」という感覚の大切さ

以前、
人を好きになるということは
「気持ち悪るがられる」ことと隣り合わせだ
というようなことを
書いたことがあるように記憶しています。

内容的には、
それでもなぜだか
そんな自分の気持ちに対して
別に気持ち悪く感じない人がたまにいてくれたりする、
そのように結んだ覚えがあるのですが、
どの記事に書いたのか探せない・・・(笑)

あるいは、そもそも下書きの段階で
ボツにして書かなかったのかもしれない・・・。
もう忘れた(笑)

以前、ネットのニュース記事向けの
アンケート(だから信憑性もないのですが)で、
「7割がたの女性は、男性を気持ち悪いと感じる」
というものを見たことがあります。

何か、特定の論調を煽るような
嘘くさい記事だったのですが、
これはこれであながち、
大ボラではないように思えました。

例えば、程度の大小こそあれ
思春期の女の子が
お父さんを「気持ち悪い〜!」と
毛嫌いするような感じで
「本能」が「その人は違うよ」と
教えてくれるのでしょう。

そういう本能的な感覚がなければ、
近親交配が発生しますし、
女性がより良い遺伝子を後世に伝えることも
不可能であることは明白です。

結局のところ
愛情というものは
人間(おそらく動物も含む)にとって
「本能」で交流するものだから、
好意を寄せられていると気付いた時、
その相手が自分にマッチしないと
本当的に気付くことができれば、
それは「気持ち悪い」とか
そこまでいかなくとも、
それに似たような感覚というか違和感は
きっと覚えるはずだと思うのです。

でもこれは、上述の嘘くさいネットの記事のような
7割の女性が男性を気持ち悪いと感じるという感覚は
女性特有の感覚ではないと思えます。

男性であっても、
好みではない女性から
本能に迫るような猛烈なアピールをされれば、
その女性を気持ち悪く感じるものです。

ただやはりこれはあくまで、
男性の中に潜在している女性性が感得するものであって、
それを差し引いたうえでも男性は往々にして
こういう感覚は女性のそれに比べれば
男性性の中に部分的に潜在している女性性という都合上、
やはり実に貧弱な反応しか感じ得ないものだとも思います。

もうこれは、性差を超えて
「人間の特性」だと思えます。

命を生む本質であり大元の女性と、
「性質のバリエーション」という種にすぎない
男性の違いです。

「惚れた腫れた」の本質は
結局、子孫を残すという目的に
必ず帰結します。
しかし、男性の女性の
体の仕組みの違い上、
女性の方がより本能的に
合う合わないを察知する能力に長けているし、
それこそ「気持ち悪い」くらいの
感情を伴わないと、
間違った子孫を生んでしまうことに
繋がってしまうわけですから、
「気持ち悪い」と思えないほうが
人類の存亡にかかってくる大問題だったりするのです。

気持ち悪いと思えないと
種は遅かれ早かれ途絶えてしまうはずです。

故に「気持ち悪い」のは
単に「交わってはいけない」という
ラベルのようなものなのでしょう。

男性からしても、
より良い遺伝子を持つ人に
自分の遺伝子を託したい本能があるわけですから、
「女性なら誰でも良い」というわけではありません。

そして、これは男女ともに言えることではあるのですが、
「この人とは交われない」という
ある種の本能的に気持ち悪いと
感じるような感覚という
ラベルを選別する「勘」が
鈍い人がいるのも事実です。

「勘」が働かないのは、
それだけ生命の純然たる発露が
エゴやトラウマなどによって
遮られたり、ゆがめられたりしているから
なのだと思えます。

「勘」が働かないから
『誰とでも寝られる』のでしょう。

これは実に危険だと感じます。

衛生面もさることながら、
ともすれば
生命の萌芽さえ摘み取る業さえも背負いかねないから。
そしてさらには、そのような業ですら
業と感じないほどに
生命をエゴで穢れていることの怖さがあります。

ついでに余談ですが、
実のところ、
上述の思春期の女の子がお父さんを気持ち悪がる
という構造からもわかるように、
「この人、気持ち悪い・・・」と感じるその人は
意外と、自分がそれと同種の気持ち悪さを
心に内在していたりするものです。

「それはもう、すでに持っているから要らない」ので
ラベルが貼ってあったりするのです。

そして、
頭で条件付けをしてしまっては
正しいラベルを選別することは
できないのだろうと思います。

また同時に、
「気持ち悪い」人は
必ずしも敵ではないということを
心得ているべきでもあると思います。