未来予想図

時は今、21世紀。
その21世紀ももう20年近く経過しています。

1970年代生まれの僕としては
ピンとこない割には
よくよく考えてみると、
何気に凄いことだったりします。

僕が小学生だった昭和50年代、
漫画などで21世紀というのは
未来のこととして語られていたからです。
SFの世界の出来事だったのです。

僕の年代の人であれば、
誰しもが戦慄した
あの「ノストラダムスの予言」で書かれた
人類の滅亡を
ある意味、乗り越えてきたのです。

確かに、21世紀に至るまでの歴史には
悲惨な事件、事故、災害、
いろいろなことが世界中で起こりました。
もちろん、戦争もその中の一つでしょう。

80年代、
旧ソ連とアメリカの間で冷戦と呼ばれる
状況があって、
互いに核ミサイルの突き付け合いを
していた時代がありました。

核戦争勃発のギリギリのところまで
状況が逼迫したこともあったそうですし、
嘘か本当かは知りませんが、
大統領や総書記(共産党の長)は
核ミサイルをいつでも発射できる
ボタンを持っていたというのも聞いたことがあります。

そんな折、
化石燃料、つまり石油が
近いうちに枯渇するという危機も訪れました。
ここから、今では普通に使われている言葉
「省エネ」という言葉が生まれました。

幸い、石油の採掘技術が進んで
まだ枯渇には至っていませんし、
新しいエネルギー資源も生まれてきています。

20世紀末というのは、
今考えてみれば
とてつもない危機と隣り合わせだったのだなと、
しみじみ感じたりするものです。

あの危機的状況を乗り越えた人類は
実は賞賛に値するのかもしれないと思えます。
よく自滅の道を進まなかったと。

今や、黒いダイヤル式の電話は
つるんとした板になって
ポケットの中に入っています。

スイッチを入れても
映像が出てくるまでにしばらくかかったテレビは
簡単に映るようになり、
画面の横幅以上に奥行きのあったブラウン管は
いつの間にやら無くなって、
せいぜい2〜3センチの薄い液晶テレビしか
見かけなくなってしまいました。

最近の自動車はガソリンを
必要としないどころか、
自動運転まで可能になるといいます。

また、日本では
人型のロボットが
接客業までこなすようになってきました。

昭和の時代、
漫画やイラストにあった未来(21世紀)の
想像図は概ね実現したように思えます。

20世紀当時、
21世紀の未来の生活は
何もかもが便利で、
何もかもが自動で、
実に快適、楽で平和な世の中として
描かれていました。

それこそ、
手塚治虫や藤子不二雄の描く
漫画のような世界がそこにはありました。
そして「物質的には」それはもう
ほとんどが可能となっています。

なのに何故、
なのに何故、
今、世界中の人が
「苦しいのか?」

まるで極楽浄土のように描かれた
20世紀の未来図は
表層的には実現しましたが、
根本の内在する部分では
むしろ地獄絵図のような様相が
如実に顕在化しているではありませんか。

人間が思い描く未来の世界は
人間の考える限界まで想像され、
またそして創造され、
これ以上の未来を創出する
意義さえ見出せなくなっているのではないでしょうか。

以前、プラトンの哲学である
「イデア論」の話をしたことがありますが、
今の人類にとって、
「イデア界」にあるほとんどのことが
この現実である「現象界」に
投影されてしまっているのでしょう。

プラトン流に言うならば、
より「現象界」を栄えさせるには
今まで人類が培ってきた
「イデア界」が飛躍されなければ
ならないのかもしれません。

人がまだ、より感覚を拡張できるというのであれば
まだまだ「現象界」は維持されるでしょうが、
人類という種にとって
今の人類の想像力が限界にあるというのなら
「現象界」は緩やかに瓦解していくのだと思います。

そう考えてみると、
21世紀、今の時代というのは
「イデア界」と「現象界」が
「今ここ」に
交錯する非常に興味深い時代なのかもしれません。