序列社会は原始社会

猿の集団には
序列、ヒエラルキーが存在します。

人はこれを見て猿に対して
「人間みたい」と
驚いたり、面白がったります。

しかし、ここでもう少し
踏み込んで考えてみて欲しいと思うのです。

人間の集団の中でまかり通っている
「序列構造」というものは
猿、つまり
動物でもできることなのです。

およそ、
群れの中でヒエラルキーを作って
生活するということ自体、
人間でも動物でも可能なことであって、
これは決して人間ならではの
「智性」とは呼べないのではないでしょうか。

むしろ、
人と動物との間に
あえて何かしらの差を作るとして、
集団の中でヒエラルキーを
形成させられるだけの知能は、
動物並みの知能だということ。

人間の序列社会も
猿や、他のある程度知能を持った動物なら
別に特別な能力ではないのです。

それどころか、
原始的な習性であると言ってもいいのでしょう。

人が本当に他の動物をも
凌駕するだけの智性があるというのなら、
それほどまでに
叡智を持った存在であるのなら、
むしろ
複数の存在に対して
差異は認めても、
そこに上下、良し悪し、貴賎などの
相対的な概念は否定されるはずです。

なぜなら、
所詮は人間もまた
この地球という自然環境の中を生きる
動物の一つに過ぎず、
その環境の中で何かしらのバランスを保つために
存在しているのであろうことを
示唆できるからです。

故に、万物が尊い。

そう思えて初めて、
人は「人類」を自負できるのではないでしょうか。

自然の働き、摂理を前にしたら、
人間など実に無力であることを
知るべきだと思います。

それどころか、
ここまで歪めてもなお
この大自然の元に生かし、置いてもらえる
その寛容さを称賛すべきですらあると思うのです。

序列社会は原始社会であるとも言えます。
そしてそこに住む我々もまた
原始人なのでしょう。