音の骨格

こういう話をすると
ほとんどの人が
「はぁ?こいつ何言ってんの?」と
感じると思いますが、
音楽というものは
耳に聞こえるもの、つまり
音だけが音楽ではないのです。

音という物理現象として
感知できる音楽というのは
それこそほんの氷山の一角に過ぎず、
感性の世界とでも言えばいいのでしょうか、
そういう五感で認識できる次元を超えた部分に
そのバックボーンというか、
骨組みがあって、
その骨格に基づいて耳に聞こえるレベルでの
音楽が認識できるものなのです。

もっとも、もちろん
嫌味で言うわけではありませんが
正直、素人にはわからない世界。

本当は、音楽には
そういう骨格があってしかるべきなのですが、
骨格のない音楽もあるのは事実です。
これは今この時代に限ってと言うのではなく、
昔からこうした骨格のない音楽というのは
無数に存在していたし、
これからだって無数に濫造されていくのでしょう。

何十年前、何百年前の曲で
今、多くの人に知られている曲というのは
そういう骨格のある音楽なのです。
骨格があるから残っているのです。

今の時代の流れは非常に早いですから、
骨格のない音楽は
昔以上にあっという間に費消されて
消えてなくなってしまいます。

まあだいたい、
ひとつの音楽が生まれたあとに
この世に生を受けた世代の人が
思春期を迎える頃、あるいは成人たあと、
「自分が生まれる前にこんないい曲があったんだ」
と評価されるような音楽は
間違いなく骨格のある音楽と言えるのかもしれません

それは曲の賞味期限が長いという話ではなく、
「流行りの音」という色眼鏡なしで
純粋かつ客観的に
その音楽の本質を評価できるからです。

僕は、この骨格という基礎の部分から
丁寧に作っていきたいと
常日頃思っています。
たとえ誰にもわからない部分であっても。

かと言って、僕自身が
そういう音楽の骨格の存在を
認識できるのは、
僕特有の体験だとも思えません。
他にもそう感じている人が
きっといるはずだとも思っています。

だから、もしそういうものが
わかる人に聴かれても
恥ずかしくないように、
多くの人には認識できない次元から
音楽を構築しなければいけないのだろうなと
考えているのです。