無常観

この世が無常なのは、
そこを生きる人の心が
恒久なものではないからなのでしょう。

この世界のあらゆる物事について、
人はいつか飽きる。
というか、「愛せなくなる」
のだと思うのです。

愛がなくなってしまうから
世界は一度花開いても、
やがて褪せていくのではないか。

もしかすると、
無限だと言われる愛ですら
本当は有限、終わりのある
ものなのかもしれない。

いや、そうではなく
この空蝉の世界そのものが
愛の発露が通り過ぎていく
そういう質の世界なのかもしれない。

生命という現象の性質の
いち側面として
この空蝉の世界があるのなら、
おそらく生命は
もっと大きな世界観の中を
循環する存在なのかもしれません。

その世界の片隅に
この空蝉の世界があって、
全体が善くあるようにと
わざと空けてある
風穴のようなもの。

これがあるから生命は
自由に動くことができ、
多様性を獲得することができる。

であるなら、
長い目で見ても、
短いスパンで見ても、
この世界は
始めがいちばん「愛」があるのに
時を経てそれが
どんどん消耗し、劣化していく
その理由も説明できるのかもしれません。