パクる意識が低い東洋人

今更ながら、
今、巷で話題の
オリンピックのロゴの問題について
思うところを書くに、
僕も作品を作る立場の人間として、
そういう現場で
様々な人と知り合って思うところは、
こういうロゴデザイン、
つまりグラフィックデザインに限らず
音楽もしかり、
パクる、つまり盗用することに対しての
罪の意識が低い人がいるのは確かです。

正直な話、僕自身にも心当たりがあるし(苦笑)、
僕が尊敬する有名なで偉大なミュージシャンも
結構パクっています。

それを言ったら、西洋文明の影響下にあるものは
一握りのオリジナルと
ほとんど多くのパクリしか存在しない
という次元の話にもなるものでもあります。

ただ、そういうパクったようなマテリアルを
ポップカルチャー界隈のステージで
しれっとする分には、
「なんだパクリかよ!」で済む話も、
さすがにオリンピックという
国際レベルで公共性の高いイベントの
エンブレムにパクリを使用するとなると
話は全然違います。

もし、作者の言うとおり
パクっていないにしても、
あまりに酷似する既存のアーキテクトが
存在する以上、
それを日本開催の公な世界的イベントに
それを起用するのは
やはり間違いだと思います。

前述のとおり、作品を作る人の中には
人のものをパクることに対して
意識の低い人は結構います。

こういう人は
パクることが日常化、常態化していますので、
平気でいくらでもアイディアを
持ち寄ってきます。
もう、これはしょうがないことです。
作者のモラルとメンタリティという次元の話です。

今回のオリンピックのロゴ問題で
一番良くないと考えるのは、
また深刻で根深い問題をはらんでいると考えるのは、
このオリンピックのロゴを選定する
コンペティションで
そういう意識の低い人が持ってきた
どこかに酷似した既存のものがあるデザインを
選定した選定員たちの
『あまりの無知さ』にあると考えます。

選定する人はそれこそ、
デザインを考える人以上に
デザインについて精通していいて然るべきであるのに、
そのデザインの真贋を区別できず
通してしまったことは、
国際的な「日本の恥」であると同時に、
日本人のレベルの低さを
世界的に示してしまった形になっています。

あえて具体的な名前を出しますが、
所詮日本も
チャイニーズやコリアのメンタリティと
同レベルなのです。
これが東洋人の資質なのです。

かつて日本というブランドの力が
強かった時期はありますが、
こういう失態も積み重なってゆくと、
世界での日本の存在はどんどん
軽くなっていくのだろうと思います。

今回のオリンピックのロゴの問題は
まだほんの先触にすぎません。

日本のブランドという信頼は
これからさきどんどん
凋落していくでしょう。

現代の日本の会社の
組織構造を考えるに、
これからもっと酷くなる。

それはひとえに、
船頭がバカだからというところに
集約されてしまうのですが、
ああいう例のロゴのような
素人目にも見比べてわかるようなものが
選ばれてしまうその
「組織構造の不全」を
疑うべきだと思うのです。