屁理屈で世界はひっくり返せない

十年くらい前の話でしょうか。
ITバブルとか言われて、
パソコン関係に強い人たちが企業して
巨額の富を得はじめた時代です。

そんな頃から
屁理屈を言う人と賢い人の差異が
曖昧になったというか、
折り目正しく区別されなくなったように感じます。

僕流な言い方で具体的に言うなら、
屁理屈で世の中を丸め込む事が出来ると
勘違いした馬鹿が
世の中に蔓延りはじめたと言うのでしょうか。

世の中、正論だけが正義だと思ったら大間違いです。
そしてそれを若い人に教えるべき立場の
大人までがその、時としてあやふやな正論という
無言の強制力、拘束力に囚われ、
あるいはそれを是としてしまう風潮が
こういう屁理屈馬鹿を生むのだろうと思います。

世の中、人の生きる社会というものは、
それを形成するための論理や秩序以前に
人として人を気分悪くさせる事が
もっとも罪だと思うのです。

もちろんこれは、
気分屋を奨励するものではありません。

自分がその感情をアウトプットする事で、
周囲にどのような影響を与えているのかを
考えことのできる慎ましさと賢さのある
メンタリティのことを言います。

そしてこれこそが本当の、真の正論ではないかと思えます。

他者が関わる世界では
正論や論理的に筋の通る理屈より
善き感情論が先立つことが基底となって
その集団が構成されていることに、
いい歳をした大人も意外と気付いていません。

そこに気付いて説かない人が多かったから
屁理屈がまかり通ると勘違いする
世間知らずが増えるのだろうし、
それがマジョリティになるから
そんな間違いも
正しい常識にすり替わってしまうのではないでしょうか。

人としての正しさというものは、
理路整然としたものではないと思うのです。