憎まれたくなくて叱らないことは業が深い

今の時代、
よその子供が悪いことをして叱ると、
逆にその叱った子供の親から
「うちは叱らない教育をしているのだから
叱るんじゃない」と
文句を言う(というか逆ギレにしか思えませんが)
大人がいるもので、
これは何が良くないかといって
ともかく、こういうバカ親の元に生まれた
子供にとって一生の不幸だと感じます。

百歩譲ったとして、
叱らない教育を是としたとしましょう。
それなら、自らの犯した過ちに対して
何かしらのペナルティを負わなければならない
という社会のルールは
どこで学ぶのでしょう。

いや、千歩譲ったとして、
過ちは自分で気づいて
自分で矯正するものであるから、
犯した過ちはあえて看過してしまおう
それさえ是とするのなら、
そういう「懲罰」という概念を
教え込ませない人を育てるのなら、
どこの国でもそう、世界中の社会から
警察機関や律法を排除すべきです。

子供のうちから叱らないのであれば、
大人になっても叱られるべきではない。
子供が何をしても叱らないのであれば、
その子供が成長し大人になった後に
何をしても咎めてはいけない。

「叱らない躾」をする大人というのは、
上に書いたようなよ作りをしていることに
気づけないと、ますます世の中は悪くなるのです。

「懲罰」の概念を教えられず、
あるいは知らないまま、
現状既存の「懲罰のある社会」に
一定の年齢を過ぎた
年度始めから放り込まれて、
懲罰のある社会に適応できるはずがありませんし、
そもそも、そうして育てられた子供にとって
「懲罰を伴う行為」を理解できないでしょう。

だから今の時代、
ものの善し悪しのさじ加減がわからない
蒙昧がまかり通ってしまうのです。

いつの時代もそうだと思います。
結局、バカガキ、悪ガキを作るのは
大人なのです。
親がバカだと子もバカになるし、
親が悪いと子供も悪くなる。

今は誰もが「憎まれること」を嫌います。

「叱ること」は「憎まれること」に通じることですから
誰だって叱りたがらない。
けれど、実の子供に関しては、
その実の子を本当に愛し、将来を考えるのであれば
親は子から憎まれなければならない。

子に憎まれることを避けて通った親、
あるいは
憎まれる義務を放棄した親の
その子供はろくな人間にならない。
これはもう十中八九。
大抵は人間のクズです。
そしてまた、
「うちの子に限って」と思う大人が
一番危ない。

ともあれ、
家族内、あるいは
近隣のコミュニティ内で
統制のとれない人間ばかりになっては
国体も維持できなくなります。

そうすると秩序を維持する権利を
丸ごと国に明け渡すことになります。
そしてファシズムが生まれるのです。

ファシズムや全体主義を生まないために
大人は子を「叱る」とこで
「子供にものの善悪を自分で判断させる術」を
教えなければならないのです。
たとえそれで憎まれようが。

結局どうなっても、
叱られて育った世代が
叱られずに育った世代に
とって代わるようになった時代になった時、
国や社会は
とてつもなく大きな過ちを
犯すのだろうと思うのです。