心の闇から帰れない人

以前、このブログで何度か
自分の心の闇を見つけたら
しっかり向き合って、
その闇の奥の奥まで進み、
そして帰ってこい。
そのような旨の話をしたことがあります。

物騒になったとか、
健全性が失われたとか
あれこれ言われつつも
日本はまだなんだかんだで平和な国です。

自分の外側、つまり物理的な
ストレスが便利になって解消されて
無くなっていくと、
相対的に自分の内側の
ストレス、つまり闇が見えてくるもので、
最終的にこれが解消されないうちは
自分という個人の救済は叶わないのです。
またある意味それは
外側のストレスがなくなり
やっと内側のストレスという
個的整合性の不均衡を見定め
修正する準備ができる準備の整った、
恵まれた人であるとも言えるかもしれません。

故に僕は、
自身の心の闇を見つけたなら
恐れず入って行けと説いたのですが、
悲しいかな
その闇の内奥の道半ばで挫折し、
帰ってこれない人が多いように思います。

連綿と続く「己」という精神活動の過渡期、
その昇華される直前に訪れる
深い闇の谷底。
そこは越えなければならない場所ではあるのですが、
その谷を下ったは良いものの
もっとも深い底から
這い上がって帰ってこれない人が多いのです。

闇の奥底を進んで、底の行き止まりまで
やってきた道のりを折り返して
帰ってくるだけで良いのに。
何も見えない闇を進んで
手探りでどん底にまでたどり着くより、
明るい目印のある上り坂は
余程楽に帰ってこれるというのに。

確かに谷底には
そうして登ってこれない人たちが
たくさんいますから、
そうした人たちが再び登って行こうとする人に
しがみついてくることもあるでしょう。
それで登る人にしがみつけば
自分の上がれると思えるから。

しかし、そういう人たちの重さを振り切って
あとは登るだけで、「個」としての精神は
新たな地平を見ることができるというのに。
帰って来れば「個としての苦」から
解き放たれるというのに。

その最後の艱難を越えられず、
人生を取り返しのつかないほどに
過たせてしまう人が多くなってきていると感じます。

どん底から解放までの距離は短く、
そして本当にあと少しで「すべての戦い」を
終えることができるのです。

心の闇という谷底は、
下るには長くなだらかな坂ですが、
向こう岸へ登る坂は
急ですが短いのです。

それ故に落ち易居のでしょうし
何度も落ちるのかもしれません。

けれど、それが本当に最後の罠。
それを避けて登り切れば、
そこでは真理の地平が迎えてくれるのですが。