癒しの押し売り

よく、ネットでも現実社会でも
いわゆる「相田みつを」さん系の
励まされたり、癒されたりするような言葉を
披露する人がいます。
自分が感じた事を言葉で表現する。
それはそれで、全然問題はないのですが、
これがそのうち、
癒しの押し売りのようになってしまう事も
多々あったりしまして、
こうなってくると表現の本質には
程遠いものとなってしまうのだと思います。
まして、自分で
『○○(本人)さんの言葉に癒され感動しました!という声を
多数頂きました!!!』
とかいうようなセールスコピーを
自分で吹聴するようになっては、
もうそれはただの
マスターベーションに他ならないような気がします。
「自分の言葉で人を力づける」と表明する事は、
自分がその癒し手しての役割を演じるのだと
表明する事であり、
またそれは同時に相対的に
癒されざるを得ない人を生みだす関係構造を
生みだします。
本当は全ての人が満たされているのが
至高の理想であるという見地からすれば、
「自称」癒し手の人は
そうでない人から充足を奪っている事にもなるのです。
「自称」癒し手は、癒して欲しい人の心を
依存させ、その力を奪います。
「自称」癒し手は、所詮「自称」であり
本物ではないから
癒すという行為に、ある一定の方向性を持った
関係性を構築した場の中でしか
癒し手でいられないのです。
所詮、「癒し手を演じている」だけなのですから、
それを見てくれる人がいない限り
その立場は成立しないわけです。
花はただ、そこにただあるだけで花なのです。
押し付けがましく、わざわざ
欲する人の元まで出向いて咲く事はありません。
ただただ自分の真実の姿の顕現として咲いて、
たまたま通りかかった人を癒す事もあれば、
自身を広めてくれる虫たちが寄ってくるものなのです。
独善的に花であろうとし、
花である事を驕る事はありません。
ただただ寡黙に咲くだけ。
表現する事の本質は花のようなものだと考えています。
誇張する事無く、
かといって卑下するでもなく、
ただひたすらに自分である。
そうした境地に達した時にはじめて、
自身の役割を遂行することができるのでしょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
応援のクリックで
ご協力お願いいたします♪
にほんブログ村 音楽ブログ シンガーソングライターへ
にほんブログ村