オーケストレーション

去年の大晦日、
テレビでベートーベンの第九を観ていました。
その時のオーケストラの指揮者曰く、
今回はベートーベンが生きていた時代の
オーケストラの方法論で
演奏させたのだそうです。
普通今の時代、弦楽5部(1Vns, 2Vns, Vas, Vcs, Cbs)は
奏者の個々人で、
フレーズにビブラートをかけるのですが、
ベートーベンの時代は極力
ビブラートをかけない奏法で演奏されていたそうで、
その方式に倣って今回は演奏したとの事。
で、聴いた感想としては、
ピッチやレゾナンス(共鳴感)がタイトで
面白いなとは思ったのですが、
どうも長時間聴いていると
如何せん飽きがくる響きだったと感じました。
元日のニューイヤーコンサートの
オーケストラの響き(今の時代の奏法)を聴くと、
やはり、ビブラートをかけない奏法は
廃れるべくして廃れたのだなと
妙に納得したものです。
さて、今僕は
自分のアルバムのストリングスパートの
手直しをしているのですが、
やはり弦楽四重奏を扱うのは
非常に労力を要しますが
その分、実に面白いです。
ちなみに、弦楽四重奏は
ヴァイオリン第1、第2、ヴィオラ、チェロの
4つの楽器での合奏の事です。
ここに、コントラバスが加わった構成そのものを
弦楽5部と呼びます。
バンドの後ろでオーケストラを鳴らす時、
コントラバスを使わず、
あくまで弦楽四重奏を用いるのは
コントラバスの音域を
ベースが弾いているので
コントラバスに用が無いわけです。
まあバンドの後ろの方で
ふわーっと乗っている分には
それほど大した技術を要する事は無いのですが、
ストリングスに存在感を持たせようとするなら、
やはり対位法を用いて
立体的なアンサンブルを
構築していかなければならないのです。
分かりやすく言うなら、
ヴァイオリン第1、第2、ヴィオラ、チェロが
それぞれの主張のある旋律を奏でつつ、
4本を同時に演奏すると
奇麗に織り込まれた絹のような
和音になる。
でも、これはオーケストレーションの
基本かつ肝でして、
そつのない対旋律をいかに描くかというのが
オーケストレーションの良し悪しにかかわってくるのです。
もっともそのオーケストレーションも
クラシックなものから、ジャズ、
そしてモータウンに代表されるようなR&Bまで、
さまざまなアプローチの方法があるので、
なんでもかんでも
対位法を用いてアンサンブルを
組み立てていかなければ
ならないということではないので、
これはまたケースバイケースの話になるのですが、
僕の楽曲では
クラシックの方法論に近いアンサンブルで
作っています。
逆にギターに関しては
ジャズの方法論をふんだんに取り入れていますが。
多分、対旋律の描き方に関しては
バッハの影響を結構受けていると思います。
テクニカルな印象のあるバッハ(J.Sバッハ)の
旋律をさらにエモーショナルに
発展させてみたらどうでしょう。
これが僕のオーケストレーションの
基本コンセプトですね。
昔から変わってません。
これは僕が独自に確立させてきた
方法論であると自負はしていますが、
でも案外、晩年、死ぬ間際の
モーツァルトの作品の対旋律の描き方に
近いものはあるのかもしれないと
思ったりもします。
ああ、やりたい事がわかる、みたいな。
実話かどうかは知りませんが、
映画「アマデウス」のなかで
サリエリが嫉妬した
モーツァルトの旋律とはこの事なんですよね。
完璧なんですよ。
だから美しいし、
美しいから完璧。
完成されたオーケストレーションは
譜面など、可視化、記号化して
ひとつの「絵」として見ても美しい。
$鮎沢郁弥のLes Fragments d'ete(あゆさわいくやの夏のカケラ)
それがオーケストレーションの
魅力でもあります。
オーケストレーションや
アンサンブルに関しては
語りはじめるときりがなくなるので、
この辺で止めておきます・・・(笑)
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