屁理屈は所詮「屁」でしかない

ネットでよく見かけるのですが、
ああ言えばこう言う風な
書き込みって多いですよね。
なんでも屁理屈で否定するような。
でもそれ、所詮「屁」理屈つまり
屁のような理屈なわけで、
決してひとつの理屈として
明確な説得力を持つものでは
なかったりするものです。
論旨を逸らして火の釜に引きずり込むような
やり口は陰険で小ズルいと感じます。
当然、万に一つ間違ってですら
ディベートとも呼べない。
野次ですよね、要するに。
ああ言えばこんな屁理屈で返す。
こんな人、普通は愛されませんよね。
愛されないから余計に
性根が偏狭に、そういう物言いでしか
人と接する事が出来なくなる事は
人生にとって大きな損失だろうなと感じます。
何かを述べた人に対して、
そう述べるに至った
バックグラウンドを推論したうえで、
そこで何が見えたのかという視点を
一切放棄しているように思います。
主張したければまず、
相手の事を理解しなくては。
人の事を思う感性を育てなくては。
うちにネットが来て
もうずいぶんな年月が経ちますが、
それ故に僕自身、
ネット上でディベートした事は
今の今まで一切、一度もありません。
昔も今も、読んでいると
本当に不毛だと感じる会話が
ネットには溢れかえっています。
特に日本人の場合、
答えを見いだすというところから
大きく逸脱して、
言い負かした方が勝ち的な
稚拙な論議にしかならない場合が多いように感じます。
ネット上の世界というのは、
老いも若きも、
より知っている人も、より知らない人も、
それぞれの立場から
同じ物事を同じ土俵で
論ずる事が出来るものですが、
少なくとも日本では
これが機能していない気がします。
いや、待てよ。
相手の言っている事の方が
正しいかもしれない、
そういう視点で物事を見る事は
簡単なようで難しいのかもしれません。
しかし、そう思える思考を持たないと
コミニュケーションの本質を見失ってしまう。
とまあ、そう考えつつ見える世界は、
あくまで「僕が見た世界」であり、
「僕が見ようとした世界」であり、
また多分、「僕がそれと認知した世界」であるのだと思います。
所詮、自分の認知というものが
最終的な絶対値になる訳ですから、
どうせなら
つまらないことに身を投じるより、
もっと創造性のある物事に
没入していきたいなと思います。
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