人を育てるという事

うちの近所に
有名な進学塾があるのです。
夏休みは
たぶん夏期講習があったのでしょう。
夏期講習に限った事ではないのですが、
塾に通う我が子を
車で連れて帰るため、
道路にずらっと
車を停めて
授業が終るのを待っているのです。
そこは駐停車禁止の道路です。
社会のルールも守れない親が
子供にむりやり勉強させる、
その状況はどう考えても異常です。
社会のルールよりも
自分の利得の方が大事である
という価値観を育てる行為ですよね、これ。
そこまでして
高い学歴ステータスを
我が子に付けさせたいのでしょうか。
子のステータスが
親の見栄となってしまう事は、
子にとって非常に不幸な事です。
これは子育てではない。
自身の自尊心を肥やしているだけです。
子供からすれば、
ちゃんと大学を出ても
半分ちょっとの人しか
就職出来ない世の中ですよ。
しかもその就職先は
この泥沼の不景気で
いつかたぐとも知れない。
むしろ、
義務教育を卒業したら、
どこかの蕎麦屋にでも
修行に入って蕎麦の打ち方を覚えた方が、
今の時代にあって
将来が安定する可能性が
高いのではないかとさえ思えます。
知識はお金で買えるかもしれませんが、
知恵はお金では買えませんよ。
さておき
それにしても、
人生の一番多感な時期に
勉強しか経験出来なかった、
そんな青春時代は寂しいですよね。
親は子にそんな
思春期を送らせる事を
良しとしているのでしょうか。
子がいつか挫折を経験したとき、
たった一つの価値観しか
教えてこなかった親は、
その子に対し
きちんと責任を負うだけの
覚悟はあるのでしょうか。
手柄は我がもの。
失敗はおまえの責任。
世の中には
平気でこのように考える人がいるものですが、
我が子に対して
これが言える親など
親ではないし、
親である資格もないと思うのです。
我が子に
たった一つの目標を課したのなら、
我が子の失敗を共にかぶる
義務もあるのです。
まあ、こうした事は
本当にごく限られた
極端な特例であり、
多くの「普通の家庭」では
そうしたことは
特に問題が無い事は
もちろん分かっています。
ただ、こうした
極論的なケースを引き合いに出してでも
言いたい事があるのです。
一人の子を産むという事は、
一人の人間の
人生を創り出したという事なのです。
その生みだした別の人生に
あまり過剰に干渉する事は、
人の営みとして
健全であるとは言えないと思うのです。
干渉しすぎる事で、
干渉された人の
天命や可能性を見えづらくさせて
しまうと思うのです。
それが
子であろうが、
他人であろうが、
誰であろうと
そうそう簡単に自分の思う通りには
ならないものです。
何故なら
人にはそれぞれ課せられた
人生の目的、課題を
それぞれ個別に持っているから。
そこを理解していれば、
人の人生をコントロールしようとする行為は
無駄な徒労だと
分かると思うのですが。
人を育てる事を
人をコントロールする口実にしてしまっては
いけないのではないかと思うのです。
個人にとっても、
社会にとっても、
国家にとっても、
民族にとっても。
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