フェミニズムに思う

フェミニズムやフェミニスト。
つまり、
女性の社会的地位を男性と同等にしようとする
動き、考え方や、また
そうした事に賛同する人の事です。
日本でもバブル期あたりからでしょうか、
男女の格差を無くそうという
社会的動きがあって、
男女雇用機会均等法という法律も
その頃に出来ました。
それは大いに結構。
社会的地位や就業の自由、
ないしその所得に関して
男女の区別無く扱う事は当然の事です。
なので、男女の
肉体的性差以外の部分では
なるべく平等になるよう、
いろいろなルールや概念を作って
より良くしてきたのです。
しかしただ、
どうも
一般的に総じて
女性掲げるフェミニズム、
この場合、
フェミニズムを唱えて
何かしらの
啓蒙活動をしている人たちによる
フェミニズムと捉えて頂きたいのですが、
それは
フェミニズムではないような気もするのです。
フェミニズムの基本概念を忘れて
履き違えているような
気がしてならないのです。
フェミニズムとは
もともと社会的立場が
男性に比べて相対的に低かった
女性の地位を向上させて
「男性と同等」にしようという考えです。
どうもこれが日本の場合、
「同等」を越えて
男性より優位に立とうという動機が
見え隠れするのは気のせいでしょうか。
結局フェミニストのやっている事は、
旧態依然の男性優位の価値観を
そっくり反転させて
女性優位の社会に煽動しているように
思えるのです。
古来より男性がとってきたメンタリティと
根が同じなのですよね。
女性も結局、
男性と同じように
パワーゲームで社会を支配しようとしている。
これでは
いたちごっこです。
これが高じると
こんどは男性の方から
男性の地位向上を謳う動きも
興るかもしれない。
そもそも
男女で分かれて
どちらが強者でどちらが弱者と
規定する概念そのものが
基本的におかしくて、
こうした理念で男女が両輪となって
社会を動かす事は
はっきり言って無理でしょう。
男女同士、権利や立場を主張するだけで
理解する事を軽んじているから。
人間、子孫を残さなければならない以上、
物理的な男女の性差はあるでしょうが、
社会生活をするうえで
男だからどうだとか、
女だからこうだとか、
そういう考え方を基点に考えるから
パワーゲームに帰結してしまう
怖れがあるのですよね。
まず、
男女の性差を越えて
人の精神に男女の性は無いものであり、
社会生活は
男女の関わり合いではなく
人の精神の同士の関わりである事を
念頭に置かないと、
真に意味での
男女平等の社会は実現しないと思います。
つまりまず、
「平等に男女の性差を持ち込まない」
ここから始めないと
男性と女性は
釣り合わないと思うのです。
物理的な男女の性差の補完は
ジェンダーの無い精神性に則ったうえでの
その次の問題なのです。
男性のメンタリティと
女性のメンタリティという
旧来の二元論から、
性を越え、さらにそれらを統合した
純粋な人の精神の関わり合い
という一段上の視点からの
価値観を持った方が良いのではないかと
そんな気がしますし、
本来のフェミニズムの理念も
そこまで昇華して
ようやく達成されるのではないでしょうか。