学校など行かなくてよい

もうそろそろ、
学生は夏休みも終わり。
寒い地域では
もうとっくに2学期は
始まっているでしょうか。
しかしですね、
これだけは言えます。
学校に行って何一つ、
本当に何一つも
得るものがないと感じたのなら
学校なんて行く必要なんてないです。
まして、
いじめられたり、体罰を受けたりと
その身に危険をさらしてまで
行くようなところではないです。
しかしそれでは、
人の社会性や協調性が育たない、
そう考える人もいるでしょうが、
そうした正しい社会性、協調性というものは
そもそも
正しく健全な環境があって初めて
育つものなのです。
歪んだ社会環境の中では
歪んだ人しか育たないです。
だから
学校がそうした歪んだ環境なら、
そんな汚染された
環境からはいち早く
抜け出すべきでさえあります。
以前にも言及した事がありますが、
今、学校で教えている学問、知識は
社会という飼い主の
家畜を育てるのに都合の良いように
意図的に「より分けられた」
教育なのです。
それはもう、
きっと幼稚園の頃だとか
それくらいはじめの段階から
人に教え、人を育てる事を
目的として教育というものを
与えてはいないのです。
知識を詰め込ませ、
競争させ利を得るという
社会通念こそが唯一の真実であると
信じ込ませ、
真の心を封じ込めて
盲目的に社会の歯車として
機能するよう飼育している。
これが少なくとも日本の教育です。
労働力という
社会の家畜を生産するだけだから、
教える立場の人間の
人間性も問われません。
物を覚えさせるだけが仕事なわけですから、
別にお手本としたくなるような
人間性を持っていなくてもいいのです。
人ではなく、
何も考える事なく
ただなんとなく
社会の歯車として生きていきたいのなら
それも良いかもしれません。
しかし、今の時代
心を捨ててまで学んでも
社会の歯車すら
させてもらえない人たちが
いるのが現実です。
しょせん、
歯車も「捨てごま」なのです。
会社という組織に入って、
その組織の仕事に
全力を尽くしたいと願うのなら、
外国に行った方が良い。
その方が
労力を有効に活かせるでしょう。
今まさに沈みかかっている
泥舟からは
さっさと脱出した方が良いです。
本来、「学ぶ」という行為に
ゴールはありません。
一生「学ぶ」ことは付いてまわります。
人生、そのようになっているものなのです。
人生の中の
限られた期間、
限られた物事だけを学んで
それでおしまい、
などということはないのです。
学びたい事は
一生をかけて
とことん学べば良いのです。
ひとつの事をとことん学んでいくと、
知らないうちに
他の人と比べて
抜き出たなにかしらの
特技を得る事が出来ます。
そしてその得た特技を
ご飯に変える事を考えれば良い。
今の教育というものは
人の特技、つまり
個性を封じ込める制度なのです。
人の子でありたいなら、
人の子でいて欲しいのなら、
人で無くす学問を
わざわざ受ける必要はないのです。
こうしたことは
子供の世界だけの事ではありません。
親の意識も変わらなければなりません。
何の理念も理解もせず
とって付けたかのように、
「やはり学歴は大切だ」という
という価値観から脱却する必要があるのです。
親が浅ましいと
子まで浅ましく育つもの。
人の子を産んだのなら
人の子として育てなさい。