ガンダム論4〜ナショナリズムの暴走

『戦争というのは武力の問題だけではない。
産業や教育、思想まで
侵略させるかもしれないという性格を持っている』
はい。
おっしゃる通り。
まったくもって異論はございません。
正にその通りだと思います。
もちろんこれは
例のターンエーガンダムでの台詞。
このガンダムには
こういう唸ってしまうような
ずしっとくる言葉がぽんぽん出てくるところに
感心してしまいます。
特にこの台詞は
凄く具体的で明確かつ
ストレートなので、
もしかしたら元ネタ、出典が
あるのかもしれないですね。
ネットで調べる限り
この台詞のバックグラウンドは
全く見えてこないですが。
脚本を書いた人自身の
オリジナルの台詞だとしたら
すごいです。
それはさておき、この台詞。
その通り、
戦争とは武力の衝突だけが
戦争ではないのです。
武力で制圧するだけが
侵略ではないのです。
戦争の本当の怖さ、
あるいは本質は
台詞にもある通り、
負けた側の
産業や教育や
物の考え方まで征服されてしまう
事にあるのです。
なんとなく、
この真夏の終戦記念日。
エアコンの効いた部屋で
のうのうと過ごしてはいますが、
僕たち日本人の生活というものは、
根本を言ってしまえば、
敗戦国として
文字通り
産業、教育、思想など
あらゆるものを
戦勝国の都合の良いように
書き換えられた土壌の上での
生活なのですよ。
実のところ
武力を使った征服は
効率が悪いのです。
戦闘機や戦車、大勢の兵隊を
動かすのに、
どれほどのコストが必要となるのか、
そして悪くして
戦死者まで出した場合
国はその賠償までしなければならない。
生きて働いていてくれれば
そこからの税収だって
期待出来た筈なのに。
しかもその戦いに負ければ
さらに多くの
致命的な代償を、
すなわち一国丸ごとの
資産全てを払わざるを得なくなる。
武力で戦うには
あまりに失うものが多過ぎるのです。
実は勝った側も、負けた側も
損失が出る、それが戦争なのです。
だから戦争は
それこそ、生きるか死ぬかの
瀬戸際まで
抑制されるべきものなのですが。
最近はこのあたりを
よく分かってきているようで、
兵隊を動かすより
まず娯楽や情報で浸食させ
思想を変えさせ、
骨を抜いた所で搾取する。
こういう戦略をやっているのですよ。
その原型が
戦後のアメリカによる
日本の再構築計画なのです。
さて、
最近は近隣の国の
反日思想が過剰になってきているように思えます。
民間レベルで反日を謳っているだけで
事が済むなら、
まあまだ
さして問題ではないのでしょう。
ただこうした
ポピュリズムに煽られる形で
政治が動いてしまうのが
非常に危険なのです。
政治家の人気取りのために
大衆が喜びそうな
反日パフォーマンスを繰り返す事で、
やがてポピュリズムは
ナショナリズムに変わる。
やがて日本は敵だという論調だけが
一人歩きしをはじめ、
メディアがそれを拡散し、
国そのものがきな臭い方向へと
向かいはじめる。
そして、軍靴の足音が聞こえはじめる。
この流れが非常に怖いのです。
ひとつの国が過ちを犯す
一歩手前の状況なのです。
一見、これは机上の空論のように
思えるかもしれないのですが、
実は第二次世界大戦で
イタリアも、ドイツも
そして日本も
こうした流れで敵国を作り
戦争に突入し、失敗したのです。
実はすべて
戦争に突入していこうとする政治を
大衆が迎合した結果なのです。
ヒトラーですら
最初は歓迎されていたのです。
戦争だ!駆逐すべし!!と
はじめに叫んだのは
実は国ではないのです。
多くの大衆なのです。
その大衆に迎合するように
政が動き始め、
また連鎖的に
メディアも同種の論調を謳いはじめる。
逆にメディアが先で
その論調に政が知らないうちに
煽動されていく事も同等にあるかもしれない。
このまま反日感情が
エスカレートし続ければ
やがて本当に
誰からともなく
「戦争だ!」と叫びはじめる事も
無きにしも非ずだと思います。
ただ、日本の場合そもそも
はなから戦争をする気はないですから、
そうした反日感情に対して
武力で応えるだけの
タフさもありません。
だからそこにつけ込んで
国境付近を
実効支配する輩も出てくるわけで、
そのうち
「島をよこせ」から
「海岸よよこせ」に変わり、
「土地をよこせ」という論法に
すり替わりかねないのです。
残念ながら、
腐敗し、自浄作用を失い
さらにはコントロールまで失った
日本政府に
こうした侵略を止める力はもうありません。
皆が皆、
自分の生活以外の事は
全てひとごと。
国民を見ず、
周りの同じ政治家や
ロビイストの顔色を伺い、
人の財産を
自分の財産にすり替える事が
最大の関心事。
冒頭に述べたように、
日本は敗戦国です。
日本は戦後、
戦勝国の価値観、思想に
改めさせられ、
戦勝国の利益になるような
産業や経済基盤を
作らされてきましたし、
そうしたことが
正しい事なのだと
「大衆」が思い込んでしまったのです。
しかしこれは明らかに
戦勝国の侵略の結果なのです。
もしかすると
アメリカからすれば、
当時の社会主義国の列強たちと
直接国境を接触させるより、
日本という国を
上手く使って間に置く事で、
直接衝突が起きないようにする
意図もあったのかもしれません。
何にせよ、
このアメリカの政策は
大成功だったようです。
ただ、
こうして戦勝国によって
思想を抜かれた教育を受けて
育ってきた日本人が
やがて一国を動かす立場になり、
国境のきな臭さの
矢面にさらされている事実を知った時、
いったいどうやって
国体を維持していけば良いのでしょうか。
先の台詞にある通り、
戦争とは武力の衝突だけの問題ではないのです。
産業や思想、娯楽といった
媒体にすり替わって
すでに侵略は始まっているのかもしれません。
さらにそこに
反日感情が入り込み
どんどん歯止めが利かなくなっていき、
ナショナリズムは暴走をはじめます。
国の頭脳が機能しない状態で、
日本国民が
あからさまな隣国の
ヒステリックなまでの
反日感情に気付き、
過激に反応してしまった時、
日本は、国民はどこへ向かうのでしょうか。
太平洋戦争では、
今の日本のような
腐敗して弱体化した政府の状況にあって
クーデターを経て
政治的実権を軍が握り、
戦争の道へと進んでしまいました。
軍国化のきっかけとなった
クーデターを起こした軍人も、
結局のところ
ポピュリズムに煽られた人たちでした。
ナショナリズムは
ポピュリズムが育てるものなのです。
戦争は
国が戦争だと言うから
戦争になるのではなく、
民族間の軋轢が
大衆に蔓延し、
そういう機運を作っていって
しまうものなのです。
そして負けた国は
それまでの文化や思想、経済、
全てを抜かれて、
戦勝国の思惑通りの
世作りをされてしまうのです。
それほどに戦争とは
後々になって効いてくる
恐ろしさがあるのです。