100年後、人類は4小節のメロディしか理解できなくなる

今どきの音楽というものは、
シンプルな和声(ハーモニー)のものが
好まれるようです。

あまりハーモニーを重ねすぎると、
音が濁って聞こえる、あるいは
不協和音に聞こえてしまうのでしょう。
何れにしても、
複雑なハーモニーは
今の人にとって
「心地よい」和音ではないようです。

専門的になりますが、具体的な例で言いますと、
コードネーム(和音)の
C(ド・ミ・ソで構成されている)
というものがありますが、
これがC7(ド・ミ・ソ・シのフラット)だとか、
C6(ソ・ミ・ソ・ラ)だとか、
こうした厚みのあるハーモニーなどは
特に心地よく感じてもらえない和音であったりします。
(もちろん、使い所にもよるのですが)

およそ30年前の日本の歌謡曲などでも、
こういう今では「気持ち悪い」と感じるような
和音は頻繁に使われてきましたし、
「懐かしのあの歌」と言って
今現在、演奏される歌であっても
そういう和音は使われるのですが、
最近の曲の和声のアンサンブルでは
複雑な和声を使うことは少なくなりました。

ただ、思うのですけど、
難しい和声を心地よく感じないのは
単に耳(脳)が鍛えられていないからの
何ものでもなくて、
複雑な和声をたくさん聞き込んでいくと、
その和声の複雑さの「味」というものが
分かるようになってくるものなのですが、
その方が聴く側に理解されやすいからと
こういう雑味をどんどん排除していくことで、
音楽そのものが稚拙になっていっているのも
事実だと思います。

これは日本に限ったことではなく、
世界的に見てもそういう流れのように感じます。

一聴するとノイジーな音楽でさえ、
音質的には歪んで刺々しかったりするのですが、
和声的な部分はといえば
至極単純で、ともすれば
ハーモニーそのものが成立していなものさえあります。

もしかすると、
先進国では過度のストレス社会にあって、
耳(脳)が音の雑味の妙を
感得する余裕を無くしてしまっているのかもしれません。
あるいは、本当に脳が退化しているか・・・。

おそらく、あと100年もすれば人は
単一のメロディ4小節の
単純な繰り返ししか理解できなくなってしまうと思います。
そしてそれにもやがて飽きて
「音楽を楽しむ」という文化や
「音楽」そのものの存在さえ
分からなくなってしまうことでしょう。

今でさえ「非生産的」な音楽の存在なのだから、
このまま人類は音楽や歌を
捨ててしまうのだろうと思います。

残るものは
「歴史的資料」としての音楽のみ。
生きる人間にとっては
何の用もなさないものなのです。
誰もそこに宿る魂のことなどについて
思いを巡らすことはなくなるでしょう。

絵画や文学と同じように、
音楽もまた
緩やかに死を待つ段階に既に入っているのです。