理系人間を増やしても社会のバランスが崩れるだけ

少し前から言われていることですが、
国が奨めようとしている(?)
「人文教科の縮小」について。

この真意までは深く知りませんが、
まあ実際のところ、
バカ大学の意味不明学科(特に文系に多い)、
これらはすべからく廃止にしていいと思います。

そういう学科を採ったところで
社会に出て、それが就職で効いてくる様な
大学でもあらず、
ただ適当に単位をとって
4年間で覚えたのは
酒とセックスだけというという
若い人多いもの・・・。

そういう意味では
その学部の存在意義すら
疑わしい様なものは
粛清されるべきです。

かと言って
人文系人材を不要とするのは
これは絶対に間違ったことというか、
人文系の人間がいなくなったら
間違いなく国が滅びます。
賭けてもいい。
誓ってもいい。

理工系人材の様な
目先の利益は望めないかもしれませんが、
長期的な視野で見れば
民族の存続には
人文系に長けた人間が必要不可欠なのです。

人類の英知のルーツたる
「ギリシア」が
資本主義経済の奔流に呑まれた
その成れの果てを見れば、
実にそれは好例です。

ああなるんです。
目先の利益を生む人材ばかりを
重用する社会の行き着く先は
ギリシア特有のものではないのです。

そしてまた
そういう思想から派生していった
西欧文明の諸問題が
人文系人材の(無意識的にでも)
軽視という結果が
1000年、2000年単位で
人を賤しく貧しくさせていくのです。

特に日本では
何かと理系、文系とを分けて、
また理系にアドバンテージがある様な風潮は
正直なところもう、
旧世紀の価値観の名残に過ぎず、
これが今まさに日本の社会の
病巣となろうとしていることに
気づくべきだと思います。

故に学問に理系、文系という
分け方は無為なのです。

ただただこれからは、
人として賢くなるために学ぶか、
あるいは
家畜として調教されるか、
そういう選択肢が
よりクローズアップされていくことになるでしょう。

これからは、
そこが問われる時代になっていきます。

賢さと精神は等価か。
社会的地位と賢さも比例するのか。
そこに不均衡、不平等は存在しないのか。

それを考えさせる出来事が
ニュースを賑わせることになっていくでしょう。
今もうすでに、
少なくとも日本では
その戸口に足を踏み入れているのです。

おそらく20年後、
人類は2種類の種に分化していることでしょう。

物事を何かにつけて細かく「分離」して考え
常に必要、あるいは不足と感じる人種と、
あらゆるものを統合的な視点で捉えて
認識を合一する中で、
あらゆるものは「満ち足りている」と
「知っている」人種とに。

そしてそのルーツは
今の時代に
「人として真の学問を習得したが否か」
そのどちらを選択した人であったのかによって
必然的な因果律として振り分けられるのです。