天国も地獄もやがて形になる

昨日は20年後の(少なくとも)日本では、
分離の世界観を生きる人と
統合の世界観を生きる人の
ふた通りの人種に分かれるようになる、
という話をしました。

これ、別にオカルトじゃないんですよね。

一歩俯瞰して世の中を見れば、
明らかにこの世界を生きる人たちの
精神的な二極化はすでに始まっています。

そして20年もすれば、
ニュートラルなバランスを持った人など
存在しなくなるのでしょう。

今はまだニュートラルな位置にいる人も
今後どちらかに、どんどん偏っていくのです。

集団心理、群集心理の力学として
共鳴がさらなる共鳴を呼んで
人が二極化していくのです。

中庸という言葉がありますが、
実際、本当はこれが
人の心の在り方として
もっともナチュラルでベストな
在り方なのでしょうが、
この中庸の世界観を持つ人は
この先(もう20年とかいうスパンです)、
生きられない世界となっていくのかもしれません。

群衆の両極どちらかに
収斂されることない
中庸の人は、
二極化した世界観の外側を
取り囲むような形で
はじき出されて
存在しない、あるいは
存在するべきではないと
されるのだと思います。

そして両極性の世界の
「観察者」や「操作者」となり、
極性の内側に住む住人からは
見ることができなくなるのです。

未だ内側にいる
分離か統合か、どちらの生き方を選ぶかで
二分化された人間のうち、
統合を選んだ人は
おそらく分離を選んだ人たちによって
淘汰されていくこともあるかもしれません。

両極の人々が
完全に淘汰されることない状況が
続いたとして、これからおよそ20年かけて
次の「第二の二極化」が進んでしょう。

これはおそらく、
これまで人類が形而上でのみ
考えてきた、
仏教で言うところの
浄土と穢土という概念が
そのまま物理的に定着する
ということなのでしょう。

すでにあらかた二極化して
振り分けられた
(インターネットが振り分けの天秤となったのですが)
人間の内的世界が横軸だとすれば、
「第二の二極化」によって
横軸が縦軸に転換、回転する、
つまり現在の価値観で
良し悪しとされているものの
両極を自で行く人たちと、
中庸を知った
ニュートラルな人たちとの間での
新しい二元性が顕れるということ。

具体的には、
縛られて地を這うような世界観を生きる人と
解き放たれて飛ぶように生きる人の
どちらかに分かれるということ。

今起きている、
人の内的世界の二極化は
この「第二の二極化」のための
下準備なのかもしれません。
「第二の二極化」の方が
本当の振り分けとなるのでしょう。

重ね重ね言いますが、
これはオカルトではなく
どちらかといえば
社会学に近いシミュレーションです。

20年経つと、
今まで人類の形而上の概念としてあった
天国と地獄が
まさに「この現実」に構築されているはずです。
それも、知らないうちに
気付いたらそこにいた、
気づいたらそんな世の中を作っていた
というような感覚で。

喩えるなら、今の時代というのは
人間ひとりひとり、
すでに己の振る舞いは明るみとなり、
今まさに、閻魔大王の前に立たされているのです。

そして初期に中庸を貫いた人は
この地球上には存在していないはずです。
彼らはいち早く世俗から逸脱した人々でしょう。

故にこと、昨日の記事のような
偏った国策を取るほどに
「第二の二極化」は
難しい形で訪れるかもしれないのです。

現に今、
人の精神活動と
経済活動の溝がより深くなり、
乖離しようとしているのが実際です。

となれば、やはり穢土には
穢れた人が住むに
ちょうどいい場所なのかもしれません。