死体を冷凍保存、ターミナルケアの極致なのか

結構前の(2015年10月19日付)
ニュースなのですが、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151019-10000419-bbcv-int
見られる人は見ていただきたいです。

ニュースの概要をざっと説明しておくと、
脳腫瘍を患った2歳の女の子が亡くなりました。
両親は、将来この娘を蘇生させる技術が
現れることを願って、
彼女の脳と細胞を冷凍保存することにした、
という内容なのですが・・・。

これは究極のターミナルケアなのだろうと。

正直、僕はこのニュースに違和感を覚えます。

僕には子供がいないので、
子供を失うことの
本当の悲しみというものは
理解することができないのでしょうし、
また理解できる立場にはありません。

それでもやはり、
(我が子を)死んだことに
させてあげられないのだろうか、とも
考えるのです。
子を持ったことのない僕という人間の
ドライな認識がそう言わせるのでしょうか。

たとえ将来、蘇生できたとして
それも蘇生といっても
ガン細胞を含んだ
(おそらく機能はしていない)脳と、
幾つかの細胞という、
「ヒトの臓器」からの
蘇生(というより再生に近い)ともなれば、
実現するとしても、
本当に未来の話となるでしょう。

数百年前の死人が
その時を越えて蘇った時、
その蘇生した死体だった人の
実存はどこに寄る辺を求めるのでしょう。

また、違和感を覚えると同時に、
これも人の性なのかとも思えました。

この親(死んだ娘の親)は
未来の医療に
娘の墓地を見出したのかもしれない、と。

そもそも人類にとっての
墓という概念を紐解いていけば、
例えばキリスト教文化圏であれば
墓地に埋葬された死者は
最後の審判ののちに復活すると語られてきましたし、
このケースの親の信仰や文化的背景までは
よく知りませんが、
キリスト教的なお墓の定義として
最後の審判までの「死者の保管場所」と捉えるのなら、
死体の蘇生を願って冷凍保存をするという発想も
強ち筋の通らない話でもないのかもしれません。

いずれにしろ、
浮かばれないのは
現実の世界に残された親の心情なのでしょう。

葬儀や埋葬など、
死者はもうこの世にはいないという
現実を受け入れ、
残された人の心を癒す儀礼と
終末期医療というものは
一見するとかけ離れているように思えますが、
実はせめぎ合う質のものなのかもしれません。

まだ生きてくれと願う反面、
また同時に
死なせてやれよとも感じる。

その昔、キリスト教文化圏では
死者は最後の審判の日まで
墓の土の下で眠っていなければなりませんでした。
そして現代では、
医療が発達する日まで死者は
冷凍庫の中で眠るのでしょう。

人間の延命技術が進歩するほどに
人は否応なしに
人の生死の境界線の定義を
自らに突きつけ、考えざるを得ないのかもしれません。

生き残される人が
死にゆく人という存在を受け入れる
モラトリアム期として、
ターミナルケアの意義が存在するのかもしれません。