僕の「いのち」の使い道

僕は「いのち」を使って
音楽を作っています。

ふと僕の音楽人生を振り返ってみると、
バンドマンとしてのキャリアの方が
短かったことに気がつきました。

ちょうど
20年前にやっていたバンドが
解散した後、
これからは
パソコンを使って1人で
音楽を作る時代になると直感して、
途中、ごく短期間の
バンドのサポートをした以外では、
なんだかんだで僕からすれば
バンドに所属した時期の方が
特別な時期だったような気がしています。

最近になって、
ようやく20年前にイメージしていた
僕がやる音楽を
一人で作ることができるだけの
環境や、テクノロジー、
そして僕自身の技術とか、
そうしたものが揃ったように感じています。

途中で何度も挫折を味わったりしましたが、
今考えれば、
挫折を経験して当然だったのだと思っています。

僕のやろうとしている音楽のビジョンを
実現するためには、
少なくとも(パソコンなどの)テクノロジーが、
現在2015年、あるいは
少なくともそこから2〜3年前くらいの
テクノロジーがないと
不可能なものばかりで、
以前、自分が思うことが実現できないのは
すべて自分の力の至らなさにあると
責めていた時期もありましたが、
そうではなかったのです。

簡単に言ってしまえば、
20年目指してきたことが
ようやく今になって
実現できる環境が整ったということ。

バンド業界から身を引いて
ひとりで、コツコツと穴掘りをして
最近、ようやくトンネルが開通したんだなと
ひしひし感じている自分がいます。

そして同時に、
僕の中の「僕と音楽」というものの関わり方が
20年前の僕の野心を超えたところに
あったことにも気づきました。

また、10年前、
だいたい時期で言えばちょうど
「ララ・ルミナス」と
名乗ってやっていた時期なのですが、
この時期の自分の音楽との関わり方も
気づけばとっくに追い越していました。

まだ今の僕にはうまく言えないのですが、
今も昔も20代のアマチュアミュージシャンならば
大抵は夢見るであろう、
メジャーになりたいだとか、
そういうものは叶いませんでしたが、
そんな小さい目標を僕は
ゴールに据えていない気がするのです。

むしろ音楽でさえ自分にとっては
手段であって、
この音楽という手段、ツールを使って
もっと高次な目標へ向かう
まだ道の途中なのだろうと思っています。

それはおそらく、
傍目に客観的に見て
「社会的」な形ではなく、
何かもっと形而上にある
より本質的なものに対して
作用するような、
何かを目指している気がするのです。

これは何ですか???

今、僕は自分で
何のために音楽を作っているのか
分かりません。
ただただ、
突き動かされるように湧き出てくる
「これ」を
音にしなければならないことしか
分かっていません。

そしておそらく、
僕が平日に書いているような
小難しいブログ記事も
「これ」に繋がっているのだと感じます。

僕は今、何をやろうとしているのだろうか。
20年経ったら
その答えがわかるのだろうかと、
20年経ったら、
ああ、全部必然だったねと思えるのだろうか。
僕が20年前から今に至るまでの
足跡を振り返って、
当時ではなく、「今」じゃなければならなかった
必然を感じるように、
20年後に「今」を必然と
振り返ったりするのだろうかと
考えたりもします。

というか、
20年後って
僕はもう爺さんじゃないか・・・。

いずれにしても、
今僕が感じているのは、
ミュージシャンという肩書きが
窮屈だということ。
ミュージシャンという肩書きは
若い頃は憧れだったけれど、
これを今僕は、狭苦しく感じているのです。
僕にとって
ミュージシャンという肩書きは
蛹の姿なのかもしれません。

僕は一生、道無き道を
歩き続ける気がしています。

そして、
僕は「いのち」を
全部、音楽に使うのだろうと思っています。

ミュージシャンとしてではなく。