何故いのちは有限なのか

もしも人間に永遠の命が与えられたとしたら。

この不老長寿、不老不死の命題について
ここでは何度も自分の考えを述べてきました。

結局行き着くところは、
死ねないのは逆に地獄だよという事でしょうか。

当たり前の話ですが、
命というものは限りがあるから
価値があるわけで、
無尽蔵の生命には希少性という意味での
価値は見出せないのです。

もっと切実な側面から言及するなら、
人生が永遠だとしたら
ほとんどの人は成長しなくなるでしょう。
差し迫っていない程度の問題は
永遠に先送りにされてしまうからです。

しかし一方で一部の、自己の鍛錬という
意識の高い人は
それこそ、より神に近づくのだと思います。
こういう人には
時間の有限性はあまり要を成さないかも知れませんが
いずれにしても、ここまで人間を高められる人など
そうそういるわけはありません。

そう考えると、
有限たる生を受けた人はきっと
おしなべて怠惰な精神性を持っているとも
言えるのかも知れません。

また一旦、有限である世界に身を置く事で
知り得る事もあるのでしょう。

しかし、人の生というものが
一度だけの使い切りというものであるのであれば、
物理的な資産や知識を受け継ぐ事に
大した意味が無くなってしまいます。

死してもなおこの世界に
何かを残そうと考える人の衝動の存在は、
輪廻転生とまで言ってしまうと
大仰になってしまいますが、
もっとささやかに、控えめな意味での
生まれ変わりの存在というものは
やはりあるのではないかと考えます。

そしてそれらは
個別な並行的連続性の世界にあるのではなく、
多数の同時的普遍性という世界観に存在するのでしょう。

まずこの前提があるが故に、
非連続性の中に永続性を求めるから、
そしてまたこの世がそれほどまでに
局所的、極限的な世界であるが故に、
人は次代に何かを残そうとするのかも知れません。

それが人の精神の成長に繋がるのだと思います。
というか、こうして精神は進化するのでしょう。
持続不可能なこの物理的な世界では
こうした事が出来るのでしょう。


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