「Innocent」と「Fool」

僕は正直、ゆるキャラというものは
あまり好きではありません。
特に自治体主導のものには
悲壮感すら漂います。

まあ現実として
いろいろ財政の問題や街興しだとか、
当たれば大きいこの商機を
みすみす見過ごす手は無いとは思いますが、
まあ得てして
二匹目のドジョウというものには
そういう寒さが見て取れてしまうもので、
それが僕の中での心証を悪くしているのかも知れません。

もっともこれは、ゆるキャラに限った事ではなく、
何事に於いても二匹目のドジョウは厳しいなと感じます。
いや、二匹目は許そう。
しかし、三匹目からはもう駄目だ・・・。

けれど今回のお話は
ゆるキャラということで、それに限らせて頂きますが、
そもそもこういう妙に緩いキャラクター着ぐるみを
大人までもがもてはやす土壌というのは、
僕の知る限りバブル経済の絶頂期の頃には
すでに萌芽していたような気がします。

もともと昭和の時代、
こういうキャラクターの着ぐるみを
喜んで観ているのは幼稚園児くらいのもので、
バブル期当時の10代後半から20歳くらいの若い世代に
例えばNHK教育(現Eテレ)の
「できるかな」とか「おかあさんといっしょ」とか
また民放の「ポンキッキ」や「ロンパルーム」などの
いわゆる幼児向け知育番組を「懐かしいあるあるネタ」として
フィーチャーする風潮がふと沸き起こったのですが、
当時は些細だったムーブメントを
今の今まで持ち越してしまった成れの果てが、
ゆるキャラのルーツなのではないかと
僕は思っています。

そう。世代的におそらく
僕と同世代の人間がゆるキャラの素地を作ったのだと思います。
僕ら世代ともなると今では
組織の中で決定権を持つ人も多くいますから、
こうした着ぐるみキャラクターに対する
感受性を持っているので
余計に企画も通りやすいのではないかと、
これはあくまで想像なのですが
そういう推察もあながちな面があるように感じます。

もちろんこれは、僕自身にも言える事であり、
このブログでも何度も言っている事ではあるのですが、
今の日本の大人の幼稚さには
甚だ憎悪すら覚えます。

40年前、三島由紀夫の自決を
「アホくさ」と嗤っていた
平和ぼけの大人ですら、まだ全然大人だったのだろうと。

ただ、ここにひとつの証明が
成されたのだろうという事は考えられます。

戦争も無くなり、経済的にもある程度裕福になり、
そして寿命も延びると、
人は大人に成れないという事を。

常に満たされ、命を脅かすような現実の無い世界では、
人は無知になる。
ここで言う無知というのは、
「何も知らない」という意味ではなく、
「無知覚」という意味での無知です。

それはそれで、実は平和の証なのかも知れませんが、
進歩する人としない人を二分してしまう事でもあるのでしょう。

身の危険の無い世界に没入する時、
考える頭を持つ人間はより精神を発達させるでしょうが、
考えようとしないと
それこそ本当に、世俗を滞留する動物でしかなくなる。

簡単に言えば、平和な世の中というのは
「innocent」と、そして「fool」という
2種類の人間を作るのだろうという事。

もし、ゆるキャラを街で見かけて
嬉々として写メを撮ったり、
昭和の時代なら「うたのおねえさん」のような
女の人が歌っているのを見て、
本気で一緒に歌って踊れる感性を持つ人なら、
それは間違いなく「fool」でしょう。

過去の歴史に於いても
大抵の場合、大きな文明、文化、民族というのは、
誰かに侵略されて散り散りになって消えるというよりは、
むしろ「fool」が衰退させていったのですが・・・。


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