いのちの生業

世の中、本当に便利になりました。

ボタンひとつ押すだけで、
画面をタッチするだけで
いろいろなことが完結する時代になりました。

昨日の雇用の話とも少し繋がるのですが、
テクノロジー、ここでは多分
いわゆるIT分野のことが主となるのでしょうが、
人間がボタンを押して(画面をタッチして)
いろいろな事を自動でやってくれるとなると、
特に生産業などでは人手が要らなくなるのです。
そしてその事によって職を失う人が出てくる。

人を楽にさせるためのテクノロジーが
逆に人を困窮させるといった事は
それほどリアリティの無い話ではないと思うのです。

テクノロジーが発達するところまで
発達すると社会はどうなるのでしょう。

思うにおそらく、
ボタン操作などの機械操作など、
またはそういうシステムをただ単に
運用するだけの仕事の賃金は
当然暴落するでしょう。
それこそ、ボタン一押し0.1円とか
そういう次元で。
しかも、それすらも自動化される事で
その職種は無くなり、
新しい低賃金のボタン押し業を
探さなければならなくなる。

こういう社会では職種は2種類しか無くなるでしょう。

それは生む(作る)仕事と
作り出されたもの(生み出されたもの)を直す仕事です。
操作、運用するだけでは対価は
ほとんど得られなくなるのではないかと思います。

また、今の若い人の性質の傾向を見る限り、
例えば交渉や調停ごとという
人同士が関わり合う事で成り立つ仕事、
要は営業職については
嫌厭されて成り手が無くなって、
高額な報酬を得られる仕事になるか
もしくは消えるかのどちらかになるでしょう。

つまり、単に仕入れた商品を「小売り」したり、
事務仕事の全般はテクノロジーの発達に反比例して
淘汰されていくかもしれないのです。

ただし、公務員だけは保護されて、
ローテクな事務処理を「手動」で行って
なんとか事務職は生き残っているかも知れませんが。

そうはいっても、もちろん
こういう社会が数十年先にというスパンで
やってくるわけではありません。
少なくとも百年以上はかかると思いますし、
利権をむさぼる立場の人たちが
そういう社会の到来を阻止する事もあるでしょう。

だからこれは、予見でも予想でもなく
あくまでテクノロジーの発達がそのまま
素直に仕事に適用されたら、
こうなるかもねという夢物語みたいなものとして
片付いてしまうのかも知れません。

ただ今回言いたい事の本旨は何かと言えば、
結局人の生業というものは
あらゆる事が自動化され、
またあるいはさらに瞬時に完結できるようになった時、
作る仕事と直す仕事しか無くなるし、
そこに人間の存在の本質の
そのまた核心があるのだろうという事。

何もかもが一瞬に自動で行える世界など
無いのだけれど、
それが叶わない事を補完するための衝動、
それというのもそもそもが、
生むか治すか、作るか直すかというところに
基底があって、そこに動機が生まれるのではないかと思うのです。


応援のクリックで
ご協力お願いいたします♪

にほんブログ村 音楽ブログ シンガーソングライターへ
にほんブログ村


「風は群青の空をそよぐ」
2013年5月25日発売!

・歌詞カード付きCD-ROM(限定)の購入は

コチラ←


夏のカケラ on Radio たまにTVでは
ご紹介するお便りを随時募集しております。
完全匿名制ですので、お気軽にお便りを下さい!


お便りはこちら!