音楽の善き使い道

芸能と言うのは思うに、
古典的でありながらも
人類の長い歴史の中でみれば
新手の宗教でもあるのだと思います。
そう、新興宗教と何も変わらないと考えます。

タレント(アーティストという人物も含む)という教祖がいて、
その人が発信するコンテンツという教義があり、
グッズという護符があり、
そして彼らの言動によって
勇気づけられたり、人生を救われたと、
ありがたがって言う人まで出てくる。

信者はそれらをこぞってお金を払って買う事で、
タレントの私腹が肥えるのです。

どこをとっても新興宗教と
その構造が同じなのが芸能であると思います。

僕のように、音楽という名の付いた
そういうコンテンツを発信し、
またフォロワーがついてなんぼの世界にいて、
そういうコンテンツを収入にしたいと考える人間からすれば
それのどこが悪い?と問われるのでしょうが、
そのような立場の僕であっても、
もし仮に人を魅了する素晴らしい音楽が出来たとして、
それは人の心をある種の隷属としてしまうのではないかと考えると、
僕がやりたい音楽は
人を縛る音楽であって欲しくないなとも考えるのです。

人の心はまず何より、自由であって然るべきだと考えます。
人の心を解放してこそ、真に良質の音楽と言うものの
立つ瀬があるのではないかと感じます。

それこそ何百年も前から、
そういう使われ方をしてきたのでしょうが、
縛り付け、ここに留めておかせるような音楽は
本来あってはならないのだと思うのです。

これは音楽の良い使い方ではないと僕は思うのです。

本当の音楽と言うものは、
人の心を自由にする事はしても、
捕らえて魅了するような性質では無いような気がするのです。

しかし、良い音楽の使い方をしたとして
果たして音楽を作り、奏でる人というものは
存在し得るのかという疑問も同時に感じます。

聴く人の心の解放こそが
音楽の良き使い方だとするのなら、
音楽を聴かせておいて、残しておいて、
その音楽や演者の事は捨られて、忘れられても
良しとしろと言うのだから、
そこにはやはり演者の覚悟が問われるのかも知れません。

でも、本来良い意味での音楽の在り方と言うものは
そういうものなのだろうなと感じます。

まあ実際、僕の場合は
誰も僕を見に来ないし、誰も知らないという
根本的な事情もあるのですが(笑)、
だからと言って、この現状の改善策と言うのは
いわゆるファンの数をひとりでも増やす事にあるのかと
問うてもても、それはそれで
僕としては一抹の違和感を禁じ得ません。

故に今僕のいるこの世界は
僕の音楽が共鳴する事は無いのでしょう。
僕の音楽は、ここには
おそらくきっと残らない。

僕の音楽は、人の心を解放するものという
うぬぼれは無いにしても、
少なくとも人の心を縛る音楽ではないし、
僕の音楽に縛られて欲しくもありません。
僕の音楽が依存を作ってしまうのをみるのは
それはそれで忍びないです。
かと言って、自分の音楽を
決して自己満足で終えるつもりも無いのです。

では、自分がそれこそ教祖となる事無く、
人を縛る事無く、
それでも音楽で生きていくために
何が出来るかと考えると
これは非常に難しい問題でもあるのです。

この答えが簡単に見出せるような
世の中、時代になれば良いのにと思ったりもします。


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