スクールカーストは社会の縮図

スクールカーストという概念があるそうです。

平たく言ってしまえば、
学校のクラス内などで形成される
人間関係に上下関係が生ずるというもの。

と言うと難しそうですが、
きっと自分の学生時代
(学生の人なら今のクラス)を
思い起こしてみれば簡単に想像がつきますよね。

大抵、外向的だったりとか、やんちゃな子、
例えば席替えすると後ろの方の席を
むりやり取ってしまうような子や、
修学旅行のバスで後ろの席を陣取るような
そういうタイプの子たちが
クラスの中で身分が高くて、
その対極にあるような
目立たない一見、オタク的な雰囲気を持った
子たちというのが身分が低かったですよね。

要するにこれがスクールカーストと
言うのだそうです。

でもこれって、
あえて学校内での関係構造に的を絞っているから
学校という閉じた世界での現象と
捉えられがちですが、
実は全くそういう質の話ではなく、
単に大人の社会が反映された
いわば大人の社会の縮図、転写なのだと思います。

人間性が育ち、価値観が変わってくると
その上下の判断基準も変わってくるし、
「外」の社会では
多様な価値観も認められるので
その判断基準も千差万別となってくるのですが、
それでもやはり人は
高いか低いかという基準で物を見てしまうのが
普通なのでしょう。

子供の頃、かけっこが早かった子が
理想の結婚相手ではないように、
子供の頃、ただのガリ勉、オタクと
見向きもしなかった子が
大人になって何かしらの研究で
世界中から称賛を浴びたりもします。
世界が変わって価値基準は変われど
それでもなお
そこに上下という座標を持ってしまう人は、
実は結局スクールカーストから
ソーシャルカーストという
ひとまわりスケールの大きな
階層構造へ移行するだけで、
「人の精神」という側面で見れば
それは何も成長していないのですよね。

また社会自体も
この階層構造から逸脱した者は
ドロップアウトした人間として
つまはじきにしてしまう。

そんな大人の社会行動を映し出しているのが
スクールカーストなのでしょう。

子供たちに精神の平等性を説きたいのなら、
まず大人が平等にならなくてはいけないのです。
もちろん、形だけの平等など
平等とは呼びません。
精神的にこのカースト意識を手放せないと
子供の世界にもカースト構造が生まれてしまう。

大人は今すぐ、このカースト意識を
放棄する事は出来ますか?

ちなみに余談ですが、
僕の場合、中学時代は
虐められていましたし、
学校の番長グループからは目を付けられていたので
びくびくして
スクールカーストの最下層を生きていました。

その階層の一番低いところで
ロックを覚えた。

一転、高校に入って
バンドをやるようになり、
文化祭で唄ったりしはじめたら、
当時のバンドブームでミュージシャンがカッコいい
という風潮も手伝って
女の子がキャーキャー言うようになり、
意図せず学校の名物的な
カーストの最上層の風景を見る事となりました。
自分で言うと小っ恥ずかしいですが
今、客観的にその当時の状況を評価するに
その時、高校の中で僕を知らない人は
多分いなかったと思う。(恥ずかし・・・)

そして今は、
そういう高いだの低いだのといった
価値観にうんざりして、
気付けば世捨て人のように
なってしまいましたとさ。

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