いのち

自分が「いのち」であることを
常に意識して生きている人は
ほとんどいないのでしょう。
しかし、人の本質は「いのち」です。
産まれ出る「いのち」もあれば
消えゆく「いのち」もあいます。
自分という存在もまた
産まれた「いのち」ですし、
いずれは消えていく「いのち」でもあります。
「いのち」は絶対性と相対性の
両方の性質を持つ存在なのでしょう。
「個」という絶対的な存在を持ち合わせながら、
他の「いのち」とは相対的な関係性の中で
ふるまうのが「いのち」です。
他の「いのち」の群れの中で
自分はいかなる「いのち」であるか、
それを示すのが「いのち」です。
救う「いのち」もあれば
殺す「いのち」もあり、
救われた「いのち」があると同時に
どこかで別の「いのち」が殺される。
「いのち」は
何を全うしてくて今ここに在るのか。
少なくとも、その答えに行き着くまでは
そのまだ無知なる「いのち」は
何が何でも
生き続けなければならないし、
生かし続けなければならない。
しかし、答えを知ってしまえば何の事は無い。
誰もが同じ、たかが「いのち」
されど「いのち」だったりするのです。
そこに何一つの差も無い。
知った人の義務は、
まだ知らぬ「いのち」が
答えに辿り着くまでの間、
その「いのち」足り得るよう
全力でその「いのち」を守る事なのかも知れません。
けれども所詮、
どんな命にも
一切の差はないのです。
その本質を知る者は尊いから、
必然的に
知らない者も分け隔てなく尊いのです。
(注)
この記事は日曜日に書いたものです。
なんか纏まっていない気がしたので
手直しが必要だと考えていたのですが、
昨日映画のレイトショーで
「クラウド・アトラス」という映画を観て、
あながち支離滅裂でもないと思えてきたので、
そのまま直さず記事にしました。
ちなみに、記事の内容と「クラウド・アトラス」の内容は
ほとんど無関係です。
ちょっとかすってるくらい・・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
応援のクリックで
ご協力お願いいたします♪
にほんブログ村 音楽ブログ シンガーソングライターへ
にほんブログ村