正しく甘える

昨日は「甘える事」とは、
という話をしました。

「甘える事」と「甘ったれる事」は
全然違うものであると。

昨日の記事からさらに突っ込んで言うなら、
人に甘える事は悪い事ではない。

「甘ったれている」というものは、
実は「人」に甘えているようで甘えていないのです。
誰にあまえているのか。
それ即ち、「自分」に甘えているのだと思います。

そこに第二者、第三者がいない。
ただ自分の都合があるのみ。

これこそが「間違った甘え方」なのかもしれません。

ならば、正しい甘え方とは何かと考えた時、
それは何も特別難しい事では無いように思います。

要するに、
「あ、良いんですか?じゃあ、お言葉に甘えて・・・。
どうもありがとうございます」

こういうシチュエーションに際して
ごく自然に振る舞う事が出来る時、
これこそが「正しく」甘えられている状態
なのだと思うのです。

せっかく人が良かれと思い
自分もそれを良しと思えるのに
それを否定してしまっては、
その人の善意までも否定し、時には辱める事にさえ
なりかねまさせん。

「人に甘える事」の本質は、
甘えて自分が利を得るという次元にはありません。

他者の善意を受け取って
素直に「ありがとう」と言う。
人に甘える事のゴール、目的は
ここにあるのだと思います。

自分に「ありがとう」と言う
シチュエーションなどありえません。
「ありがとう」と言いたいなら、
必ずそこに第二者、第三者という
自分以外の他者が必要です。

こうした他者との関わり合いの中で、
自分にとっても、人にとっても益となる関係を
築いていこうとするなら、
互いが「ありがとう」と言える関係性を保持する事が
やはり、いちばん好ましいわけで
また、「ありがとう」と言える状況を創り出すには、
やはり人に甘えてみなければ
「ありがとう」なんて言えない。

先にも少し触れたように、
別に人の善意は自分がそれを欲していなくとも
それを有難く思って甘受しなければならない、
そういう事でも無いと思います。

差し伸べてくれた手が自分にとって
現状、必要が無い場合だって当然あります。
そうしたものまで無理に
引き受ける必要なんてありません。

必要が無いのなら、
ただ正直に
「今は間に合ってます」と言えばいいいいのでしょう。

しかしここで履き違えていけない事は、
自分に不要な善意を「お節介」と
思ってはいけないという事。

向けてくれた好意を否定してはいけない。

行為は断っても、
好意まで断ってはいけないのす。

手を差し伸べてくれた人の
礼を失してはいけないと思うのです。

こうした時は普通に、
「今、手助けは必要ないんです。
でも、そうして気にかけてくれた事は
とっても嬉しいです」
こういう言葉を無理なく言えるようになれば、
きっと人生向かうところ敵無しだと思います。

何より、こういう所作や思考が
きちんと身に付いている人はやはり
可愛げがありますよね。

僕だったら、こういう人に
善意を断られても、
じゃあまた
助けが必要になっていそうな感じだったら
また声をかけてみようかって思えます。

故に、人はもっと「正しく」甘えるべきなのでしょう。
そうする目的はただ一つ。
自分が「ありがとう」と、いうために。

そうするためにはやはり、
必然的に人と関わる必要性が出てくるのです。

そして感謝する事の本質は、
結局「正しく甘える事」に対する
正しいレスポンスなのだと思います。

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