情報亡者

人はより新しい情報を求めようとします。
もちろん、
相場の世界や医療の現場では
常に最新の情報が求められるのは確かです。
しかし、一般的な
いつどこで誰が何をしただとか、
そうした情報まで
常に新しいものを求める必然性は
果たしてあるのでしょうか。
なんでもかんでも
新しい物事を知っていれば良い
と言うものではないと思うのです。
常に新しい出来事を求め、
追いかけることを強いられる世界というのは、
僕の精神の目からすれば
そこは地獄としか映りません。
「情報地獄」
とでも呼びましょうか。
上で述べた、
最新の情報で判断する事が
事象に影響を与える物事はともかくとして、
その他のニュースなどは別に
人より先に得たからと言って
遅れを取るようなものではないと思うのです。
「いや、先着何名様にプレゼント!」などのような
情報は常に最新でなければならない、
そう思われがちですが、
本質はそうではないと思うのです。
外的世界からの情報というものは面白いもので、
常に新しいものを追いかけなくとも
必要な時に必要なものが得られるように
なっているような気がするのです。
というか、それが
必要な時に必要だったと
「気づく」と言った方が正しいかもしれません。
いくら新しい情報をネットなどで
むさぼるように漁っていても、
その時必要の無い情報というものは
それがあった事に気づかなかったり、
認知していても
今は要らない情報だと捨ててしまったりと、
結局は情報を知る事の本質は
「新しいもの」であるより、
「実質的に有効」であるものの方を
価値あるものとして
無意識に選び取っているものなのです。
故に、「先着何名様にプレゼント」
という情報も、
実は自分にとってそれが必要なものであれば、
適切なタイミングで
手に入れる機会を得る事ができますし、
縁が無いのであれば
知らないまま。
知らないままであるから
それは縁の無い事。
それだけの事なのです。
故に、その情報がいつ発せられたかは
さほど問題ではないのです。
肝心なのは今、それが有益足り得るか
その一点なのだと思うのです。
以前に必要が無いと捨ててしまった情報が
今活きている、
そんなことは日常でよくある事です。
自分がそれを
引きつけたかどうかという
次元の話なのです。
だから無用に情報に対して
あれこれ漁っていても、
それはかえって渇望を生むだけなのです。
必要な情報は無駄にあがく事なくとも、
自身のライフサイクルの中で
適切な時に
自然に心にインストールされるように
できているのだと思います。
ただ、
その必要な情報がインストールされるだけの
空き容量を心の確保する必要があります。
「常に新しい情報を知っていなければならない」
そういった意識は
心の容量を無駄遣いしているのでしょう。
空けておけば、丁度いい時に
適切なものが入ってくるというのに。
転じてこれは、
情報に限った事でもないのかもしれません。
物事というのは
目一杯に詰め込むと滞ってしまうもの。
一人が溜め込むと
流れが滞って、
まんべんなく行き渡らなくなってしまう。
これはこの世の真理のひとつだと思うのです。
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