戦う人たち

世の中には
常に何かと戦っていなければ
気の済まない人というものがいるものです。
何かにつけて
勝ったとか負けたとか、
得をしたとか損をしたとか、
優れているとか劣っているとか。
彼らは常に戦いに勝たなければならないから
都合の悪い事柄に直面しても
屁理屈を押し通してでも
自分が正義であることを誇示する。
なんだかこういう人生、
僕だったら疲れてしまいます。
人なんてものは千差万別なのに、
人と比べて自分はどうだの
そんな事をいちいち考えていたら
そこに不足感を覚えるもの
無理からぬ事だとは思います。
それで人より優れた自分であろうという
向上心として良い方向に
自身の意識のベクトルを
もっていければ良いのですが、
中には
自身を最善となるよう
高める事を放棄していながら
人を貶めて
自分が抜きん出ようとする人もいます。
でも思うのです。
それで勝ってどうするのか?と。
自尊心を満たすだけで
自我が保てるほど
矮小なアイデンティティなら
それも良いのかもしれません。
でも人生の目的は
勝った負けたじゃない。
成功か失敗かでもない。
ものの勝ち負け、
優劣というステージの
向こう側に到達して
自分は何を成すか、
あるいは成したか、
それが意義であるし、
それを悟ってようやく
自身の人生がはじまると言っても
過言では無いように思えます。
自身の心の足場を
そういう極端な二元論に
落とし込んでしまう事は、
人生においての大きな損失だと思います。
人生のディテールを
包括的、統合的に捉えて、
自身の何たるかを考えないと
きっと人生を踏み外します。
だから
戦いは要らないと言えた時にこそ、
その人の人生の救済が
はじまるのかも知れません。
そして気付くでしょう。
その「戦い」そのものが幻想であった事を。