哲学を語る者に耳を貸すな

哲学を語る者を
決して信用してはいけません。
それはもちろん
そのようなことを話す
まさに僕に対しても同様の事。
少なくとも鵜呑みにするべきではありません。
哲学を語りたがる人は
哲学から出てこようとしないものです。
それ故に
信用出来ないのです。
数十年から百年以上も前の
暇人の戯れ言、言葉遊びを取り上げて
弁証し、評価し、
そしてそこから生まれた思想を
さらに弁証し、評価し、
延々とその繰り返しをして
何が生まれるというのでしょう。
僕を含め、この類いの人間は
「自分は先人のこんな言葉を知っている」と
誇示し、悦に入りたいだけなのかもしれません。
そのような
小さな自尊心にいちいち
感心して共感する必要はないのです。
哲学というものは
人の認知出来得るあらゆる物事の
根幹、礎であり、
それ単体では何も意味を持たないのです。
大切なのは
哲学という基礎、土台の上に
「自分」は何を築くのか、
その「築いたもの」こそが
人生の評価の対象であって、
バックグラウンドたる哲学は
非常に重要ものではあれど、
そこに結果は無いのです。
土台ばかりを延々と
こねくり回し、
いつまでたっても家を建てない。
これが哲学を語る人です。
もちろん
あるステージに於いては僕を含めて。
土台、基礎が活きるのは
家が建った時であるという事を
忘れているのか、
気づいていないのか。
そのような人から何を学べというのか。
哲学というものは
個人的体験を
個人的に体系付けたものであって、
それが他者にとって有用であるとは
必ずしも言えません。
まして百年も前に生きた人間の考えた事が
今、現代を生きる人間の人生を
良い方向に変えるほどの
意義を持つ事は
あまり無いと思います。
しかしながら、
人は哲学を無くして
意味のある有意義な人生を
作り上げていく事は
不可能でしょう。
仕事、学問、芸術、
ともすれば暇つぶしの遊びにさえ、
その根幹に哲学があります。
逆に言えば
哲学の無いまま築き上げたものは
底の浅い、薄っぺらなものとなるでしょう。
哲学は学ぶものではないのです。
仕事にしろ学問にしろ芸術にしろ、
それらの物事に精通していく過程で
少しずつ育っていくものであり、
自分の中で自律的に
構築して醸成していくものなのです。
それ故に
他人の語る哲学を
鵜呑みにして信用してはいけないのです。
哲学は人からのお仕着せであってはいけないのです。
だからこの文章も
信じてはいけない。
評価するのは
これを読んだ
「あなた」に委ねられているのです。