そこに怖れはないか?

「愛」をひとつの力学として
喩えるなら、
その「愛」と反対のベクトルを持つ力が
「怖れ」ではないでしょうか。
無くす「怖れ」
否定される「怖れ」
傷つく「怖れ」
そうした様々な「怖れ」が
人の心を萎縮させ
本来発するべき「愛」が
打ち消されてしまいます。
無くすのが怖いから与えない。
否定されたくないから素直になれない。
傷つきたくないから関わりたくない。
など、怖れる事で
自分に正直になれなくなると、
やがてそれは
自分を偽る事へと繋がっていき、
その矛盾がどこかで
軋轢となって顕われてくるでしょう。
「怖れ」は
自分でも知らないうちに
知られざる、見えない敵を
そこに生みだします。
こうなってしまうと
目に見えるもの全てが敵に見え、
さらに人の心を閉ざさせます。
だからこそ本当は
「愛」を前提とした社会、世界を
構築する事し、
それを信じきる事が必要なのではないかと
思うのです。
信じる事、それは
「愛」を受け入れる器なのです。
「愛」というものは
そこのみにこそ入ってくる事を
心に留めておいた方が良いと思います。